佐々木毅 「宗教と権力の政治」


日本人には中世のヨーロッパの思想というのはなかなかわかりにくいものだけれど、本書はわかりやすくその流れを書いてあり、とても面白かった。

人間の内面も生活も支配する、強力な権威と権力だったローマ教皇の「教皇至上権」。

その教皇至上権がどのように成立したか。

また、トマス・アクィナスにより教皇至上権がある意味部分的に制限されたこと、パドヴァのマルシリウスによってさらに世俗権力の自律性が論理付けられたこと、

ルターの宗教的個人主義により、決定的に教皇至上権や教会のあり方が打撃を受け、変化したこと。

さらに、マキャヴェリが、古代やキリスト教においては長い間当然視されてきた、内面における宗教と政治の結びつきを断ち、人間の救済や倫理などの最終目的のための政治という理論を廃棄して、物理的強制力を中核に据えた理論を立てたことがいかに衝撃的だったか。

また、ボダンによる「主権」の理論が、宗教戦争の泥沼を鎮めるための、平和のための理論だったが、宗教や価値と切り離した政治の議論だったために、平和が成立すれば空疎さを抱えるものとなり、「主権」理論の空疎さを埋めるための理論が近代以降要請されるようになったこと。

などのストーリーが、あらためてなるほど〜っと思え、とても興味深かった。

往々にして西洋政治思想史を近代から説明する通史が多いけれど、近代西洋は当然中世や古代への応答として営まれているわけで、古代や中世の流れがわかってこそ、はじめて近代のマキャヴェリなどの思想の意味も意図もわかるのだろう。
本書と、その前の一巻にあたる「よみがえる古代思想」は、現代人にとって、近代や現代を問い直すためにも、参考になる良い本なのではないかと思う。

現代も、ある意味、宗教戦争とよく似たような、理念戦争の危険がともすればある。
一方で、宗教や価値と切り離した、主権や政治の空疎さも抱えている。

そうしたことを考えれば、宗教と権力が結びつき、あるいはその結びつきを断とうとして格闘した中世・近世の政治思想史というのは、現代人にとってある意味非常に貴重な参考物なのかもしれない。



なお、私見では、この本ではさらっとしか触れられてないけれど、宗教戦争の泥沼の中で、新旧両派による自派の闘争のための御都合主義や便宜主義や熱狂を批判し、精神の寛容や穏健さを説いたモンテーニュエラスムスらの思想は、本当は寛容や穏健な政治を支えるためにはとても重要なのではないかと思う。
マキャヴェリやボダンやポリティーク派のように、宗教への無関心や断絶を強調し、世俗政治の権力の自律性を明らかにし主張することも、ある意味各人の内面の自由や寛容をもたらすことにはなると思うが、おそらくそれだけではいささか空疎な政治や空疎な寛容にしかならず、本当に根強い寛容や穏健な政治を育むには、モンテーニュエラスムスらに学ぶことは今なお多いのではないかと思われる。