
- 作者: 平山洋
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/08
- メディア: 新書
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平山洋「福沢諭吉の真実」(文春新書)は従来の福沢諭吉研究を塗り替える画期的な本である。
2004年に出版されているから、すでに五年も経っているが、残念なことにいまもって読んでない人も多いようである。
すぐれた知性や見識の持ち主の方が、この本をまったく読んでおらず、この本の知見をまったく踏まえていないそれ以前の福沢観をいまもって述べているのを見て、残念な思いをすることが今もってある。
この本が明らかにしているのは、緻密な史料批判と考証を通じて、
従来福沢諭吉のものとされてきたアジア侵略やアジア蔑視の論説が、実は福沢諭吉のものではない、ということである。
石河幹明という、今はその名をほとんど知られていない福沢の弟子で、時事新報の記者であり、「福沢諭吉伝」と正続「福沢全集」を編纂した人物が、自分の執筆した文章を福沢全集に福沢の著作して潜り込ませていたということである。
「福沢全集」は、福沢諭吉が存命中に自ら発行したものがまず明治の間に発行されているが、これには今日福沢のものとされている時事新報のさまざまな社説が全く含まれていない。
福沢の没後、石河幹明の編纂による正続の全集に、急に膨大な量の、本来は無署名であった時事新報に掲載されていた論説が、急に福沢のものとして、不明な基準のまま収録されている。
中には、福沢の没後十年にあった大逆事件に関する論説まで続福沢全集に収録されているというのだからひどいものだ。
そうした史料の真贋や正当性について、戦後まったくといっていいほどきちんと考察されずに、石河版の全集が無批判に受容されて、それを根拠に福沢研究や福沢批判が続けられてきたということには、本書を読んでて驚きを感じざるを得ない。
本書の考証は極めて説得力があり、福沢の書簡などから福沢の執筆がまったく不可能なものが多々福沢のものとされていること、および最晩年の福沢諭吉が脳梗塞の後遺症で失語症に陥ってたにもかかわらず、石河の伝記ではべらべらしゃべっていたことになっていて、たくさん論説を書いていたことにされていることも明らかにされている。
日清戦争期において福沢諭吉が「文明対野蛮」の戦争だとして戦争を煽動したということは、戦後しばしば言われることだけれど、本書は福沢はまったくそんなことを述べていないこと、それらの論説は石河のものであったこと、むしろその時期の福沢の真筆の論説は慎重論であり、国民にアジアへの蔑視を戒めたものであることを明らかにしている。
真筆の「支那人親しむ可し」ではむしろ日中友好を主張し、戦後になって発見された三田演説会での演説では「自尊尊他」を主張しているのである。
戦後の左翼研究者によって提示され批判されてきた「侵略主義者」としての福沢諭吉像がまったくの虚像であり、石河幹明への批判としては的を射ているとしても、福沢批判としては全く的外れの筋違いのものだったことが本書では明らかにされている。
にもかかわらず、今もって戦後の左翼研究者による虚像が歩き続け、心ある人にまで大きな誤解を与えているのは大変残念なこととしか言いようがない。
思えば、福沢諭吉は、実はもっとも理解されていない思想家、誤解に包まれた思想家だと、今もって言えるのではなかろうか。
自分が書いたものでもなんでもない論説によって「途中からおかしくなった」だの「福沢は信用しない」などと言われ続けるとしたら、これほど不運な思想家もいないだろう。
これから先、福沢を論じる人は、必ず本書を読んでからにすべきと思われる。