萩原延寿 「馬場辰猪」

萩原延壽集1 馬場辰猪

萩原延壽集1 馬場辰猪

本当に、これは名著。
おもしろかった。

馬場辰猪は、自由民権運動で活躍した人物で、若くして亡くなった。
名前ぐらいは知っていたけれど、あんまり今まで私はその事蹟や人生を詳しくは知らなかった。
十年ぐらい前、谷中の墓地で、馬場辰猪の墓を見て、「名前は聴いたことあるけれど、誰だっけ?」となぜか不思議に思った記憶がある。
今日、その事蹟や志を、この本のおかげで詳しく知ることができた。

福沢諭吉は、終始一貫、弟子の馬場辰猪を深く愛し、支援し続けたらしい。
イギリスに留学していた馬場に宛てて、日本の運命を担ってくれと激励した手紙も胸を打たれるが、馬場が亡くなったあとに追悼した弔辞が、なんとも胸を打たれた。
馬場には一貫してすぐれた「気品」があったこと、今も慶応では馬場のことを手本とするように語っていること、馬場を後世の「亀鑑」であるとまで述べていて、福沢の悲しみがひしひしと伝わってくるような気がした。
「気品の泉源、智徳の模範」という言葉は、馬場を思いながら福沢が述べた言葉らしい。

著者の萩原さんが言うように、馬場はあまりにも性急に歩み去ったし、福沢や中江兆民のようなちょっと離れたところから自分や世の中を突き放して眺める素質が欠けていたのかもしれない。
しかし、そうであればこそ、福沢や兆民らにかくも惜しまれ、愛惜されたのだろう。

若くして亡くなったため、また挫折の人生だったため、当時はともかくとして、後世は必ずしも有名ではない人物なのだろうけれど、福沢が言うように後世の亀鑑とすべき人物だと、本当に読んでて思えた。

にしても、明治十年代の情勢の難しさや厳しさや、集会条例による言論出版との取り締まりの厳しさは、今更ながらこの本を読んでてひしひしと感じられた。

馬場は、おそらく福沢の期待に最もよく応え、その理想どおりの青年に育った人物だったのだろうけれど、その人生のあまりの過酷さと挫折ということを考えると、明治の日本の理想と現実ということをあらためて深く考えさせられる気がする。