現代語私訳『福翁百話』 第二十一章 「結婚相手の選択は慎重に」

福翁百話の二十一章を訳してみた。
この箇所は、今日では抵抗感を持つ人もいるかもしれない。
しかし、福沢の主眼は、優生思想というよりは、明治の頃まだ根強かった、家柄による差別を科学的な観点から払拭することにあったように思われる。



現代語私訳『福翁百話』 第二十一章 「結婚相手の選択は慎重に」


人間であって子や孫を愛し心配しない者はいません。
夫婦は子や孫が生まれ繁栄していく一番根本だということを考えれば、良縁を求めて良い子どもを産み育て、良い孫を見たいと思うのは、人間としてごく自然な気持ちです。
ですので、男性も女性も、配偶者の選択には特に慎重に注意をするべきです。


では、配偶者を選択するための方法はどうすべきでしょうか。
一、 遺伝子。二、本人の健康状態。三、本人の智恵の程度。
この三つの事柄から選択すべきでしょう。この三つの他にも、男性の風貌や女性の容貌、その家庭の雰囲気、家柄、由緒、経済的な状態など、さまざまな注意すべき事柄がたくさんありますが、今挙げた一から三の事柄に重大な欠陥があれば縁談はまずやめた方が良いでしょう。


男性の風貌、女性の容色が、どれほど優れていようとも、その血統に遺伝病の心配がある場合は、大変心配なものです。
家柄は由緒ある名家であっても、本人の健康状態が貧弱で、智恵や能力も不十分で、仕事や家事を十分こなすことができない人は、結婚相手とするには十分ではありません。


要するに、配偶者の選択は、夫として妻としてはふさわしい人を選ぶのと同時に、その人が父として母としてふさわしいかどうかにも注意することが特に大切なことということです。


たとえ家柄が清和源氏の家柄だとしても、その血統はすでに腐敗して祖先の優秀さの痕跡もなく、何代もの間子どもが生まれても、いわゆる貴公子・お姫様ばかりで、身体は虚弱で、精神的にも不安定で、この人間の社会に適応できない人が多いものです。


なので家柄にこだわって調べる必要はないかというと、そうではなくて、源氏平家のような名家の話は別として、一般的に人間の精神や身体には遺伝による性質があり、ほんのささいな微妙なところまで両親や先祖の面影がのこっているところがあります。


たとえば、子どもの顔が両親に似るのはもちろんのこと、父親を見たこともない孤児の筆跡が、亡くなった父親の筆跡によく似ているというような、本当に不思議なこともあります。
遺伝によって定めることはこのように重大なことがある以上は、配偶者を選択するにおいては、現在の状況や経済的な豊かさや地位がどうであるかということに関係なく、この人が良いと思ったならば、その両親や先祖について、だいたい四代前か五代前ぐらいまでさかのぼって、その家の職業や家庭の雰囲気、その家の人々の智恵の程度や健康の程度を調べて検討することが大事です。
牛や馬を買おうと思うならば、まずその親牛や親馬の性質がどのようなものであるかと調べるものですし、穀物を蒔く場合でもその品種をよく調べるものです。
人間の父親や母親になろうと思って配偶者を選ぶのに、智恵の程度や健康の程度や遺伝などについてきちんと調べて検討せずにいることは、物事の重大さを知らない人だと言えることでしょう。