ダンマナンダ長老 ハッピーマリードライフ 12章 まとめ

ダンマナンダ長老 ハッピーマリードライフ 12章 まとめ


12、まとめ


結婚は二人のパートナーシップです。このパートナーシップは、二人の人格の成長が伴うことができた時に、豊かで一層充実したものになります。
多くの結婚は、一方のパートナーが他方の「ツバメ」になろうとしたり、一方が全面的な自由を要求することで、失敗しています。
仏教によれば、結婚はお互いの信条やプライバシーへの理解と尊敬を意味します。
うまくいく結婚は、「でこぼこ」しながらも、いつも二人(双方向)の道です。難しいことですが、うまくいく結婚とは、いつもお互いさまの道のりなのです。


この国や他の国々の若い人々はしばしば、「古風な考え方」は現代社会には関係ないと考えています。
彼らは、決して時代遅れにはならないいくつかの変わらない真理があるということを忘れるべきではありません。
仏陀の時代の間に真実だったことは、今日もいまだに真実のままなのです。


大変に素敵なテレビ番組を通して、私たちが受け取っているいわゆる現代社会というものは、西洋において最も品格のある人々の考え方や振る舞い方を描写していません。
東洋のカップルたちと同様にとても敬虔で結婚について「保守的」な品格あるカップルたちは膨大な「サイレント・マジョリティー」(声なき声)となっています。
彼らはマスメディアが描くような仕方では振る舞いません。
すべての西洋の人々が一度の喧嘩や争いのあとに離婚や妊娠中絶に走るわけではないのです。


世界中の品格ある人々は同じです。彼らは無私であり、愛する人々を深くケアします。
彼らは、幸福と安定した結婚を確かなものとするために、非常に大きな自己犠牲を払い、愛と理解を育みます。
もしあなたが西洋を真似したいならば、「サイレント・マジョリティー」を真似してください。
彼らはあなたの近所に住んでいる品格ある隣人たちとなんら変わりません。


若い人々はまた、年長者に耳を傾けねばなりません。
なぜならば、結婚生活についての若い人々の理解は未熟だからです。
若い人々は、結婚や離婚について、性急な結論をすべきではありません。
若い人々は、多くの忍耐、寛容、相互理解を持たねばなりません。
さもなくば、その人生は大変にみじめで問題のあるものにもなりかねません。
忍耐、寛容、そして理解は、結婚においてすべての人々が守り実践すべき重要なディシプリン(訓練・規律・分野)なのです。


安全であり満足した感情は相互の理解から生じるものであり、そのことこそが「ハッピーマリードライフ」(幸福な結婚生活)の「秘訣」なのです。



補足Ⅰ、愛情深い母親


仏教のジャータカ(釈尊の前世の話、本生譚)の物語の中で、ソーナダンダという菩薩が、以下の調子で母の徳を歌います。


親切で、あわれみ深い、私たちの避難所。彼女は私たちを胸のうちで養ってくれました。
母は、天への道、母の愛こそ最上なり。
彼女は丁寧に私たちを養い育ててくれました。彼女は善き恵みに満たされています。
母は、天への道、母の愛こそ最上なり。
子どもを切望し、彼女は聖なる寺社に祈ります。
季節が変われば天文を調べ学びます。
身ごもっている時の間は、優しく成長を願います。
すぐにまだ意識のない赤子も愛情深い友だとわかり始めます。
一年かそれぐらいの間、彼女はとても丁寧に彼女の宝を守ります。
子を産むと、その日から母の名を身につけることでしょう。
母乳と子守唄でぐずつく子どもをなだめ、
心地よい暖かな腕でつつむと、赤ん坊の泣き声はすぐにおさまります。
まだかよわい無垢な赤ん坊を見守って、風にもあたらないよう、むずかることがないように、そのように赤子を慈しむ、母は育てはぐくむ者と呼ばれることでしょう。
彼の夫と力を合わせて、母は息子のために貯金し、
「いつか、私のかわいい子よ、すべてお前のものとなるのだよ。」
と考えます。
「これをしなさい、あれをしなさい、坊や」と心配した母は叫びます。
子が大人に成長すると、母は嘆きため息をつきます。
夜に近所の人妻と会っていて見境ない雰囲気になっていないか、
彼女はイライラして、「なぜ明るいうちに戻って来ないの」と言います。
もし人が、このような心配とともに育ててくれた母を無視し、
嘘を言っていたら、どれほど悪しき運命となり、たとえ祈ろうとも、地獄を逃れることができようか?
あまりにも富を愛する人は、すぐに富が失われると言われています。
母を無視する人は、すぐにそのコストが高くつくことに後悔することでしょう。
あまりにも富を愛する人は、すぐに富が失われると言われています。
父を無視する人は、すぐにそのコストが高くつくことに後悔することでしょう。
恵み深い、贈り物や愛情深いことばや優しい世話、
いつどこでも示された心の穏やかな公正さ、
これらの徳は、この世界にとって、車輪の軸です。
これらの徳が欠けていても、なお母の名は子どもに呼ばれることでしょう。
種をくれた父のように母は尊敬すべき名誉を与えられるべきです。
賢者たちは男性にもこれらの徳があることが良いと考えています。
そのような両親はあらゆる称賛に値し、高い位置を保ち、
古代の賢者たちによって「ブラフマ」(梵天)と呼ばれます。
それほどにそうした親の声望は偉大です。
子どもに対して優しい親は、あらゆる当然の尊敬を受けるべきです。
賢い子は、親を尊敬し、良いことや真実をもって奉仕します。
子は親に飲みものや食べ物や、衣食住を与えるべきです
そして、風呂にもいれ、オイルを塗ってあげ、足を洗ってあげるべきです。
これらのような親孝行によって人は、この世では賢者たちによって讃えられ、死後は天界に生じて喜びを受けることでしょう。

(ジャータカ 英語訳 一巻 五章 173、174頁)


補足Ⅱ、道徳的な規範


1、 社会的道徳的な規範について


仏教徒の改革の最も重要な要素は、常にその社会的・道徳的な規範にありました。
仏教の道徳的な規範はそれ自体、この世界が今まで知ってきた中で最も完璧なもののひとつです。
この点においては、敵対的な陣営からも好意的な陣営からも、あらゆる証言が同意しています。
哲学者は今まで存在してきましたし、宗教の説教者、精密な形而上学者、論争家は今まで存在してきました。
しかし、どこに私たちは、仏陀のような愛の権化を見出すことがあるでしょうか?どこに仏陀のような、あらゆる地位と信条と肌の色の違いを知らない愛を、人間性の束縛さえも超えて、くまなく生きとし生けるものすべてを包容する愛を、普遍的な「慈悲」(マイトリー)や「不殺生」(アヒンサー、非暴力)の福音を、見出すことがあるでしょうか?
(マックス・ミュラー教授(ドイツの仏教学者))


2、道徳は自由に基づく


仏教徒の道徳は自由に基づいています。言い換えれば、個々人の発達に基づいています。
それゆえに相対的なものです。
実際、自分自身の外部の人によって強制されたり決定されるならば、あらゆる倫理的な原則はありえないことでしょう。
(アナガーリカ・B・ゴーヴィンダ (ドイツの仏教学者)


3、知識と道徳


仏教においては、知識なくして道徳はありえませんし、道徳の伴わない本当の知識もありえません。
両方とも、炎における熱と光のようにおたがいに切っても切れない関係にあるのです。
「菩提」(ボーディ、悟り、智慧)を成すものは、単に知性的な悟りではなく、人間性(ヒューマニティ、優しさ、慈悲)です。
道徳にすぐれた意識こそ、「菩提」のエッセンスなのです。
(ダンマパーラ比丘(オランダの仏教学者)