隠元禅師 「竹を種うる歌」

隠元禅師の「竹を種うる歌」もタイピングしてみた。

隠元禅師は、ちなみに、明の滅亡を悲しみ、清の世となることに対していろんな思いがあったようだ。
ひとつには、そうしたこともあって、日本に渡ったらしい。
そうした背景も、なんとなく思いを馳せられる詩である。




「竹を種(う)うる歌」 (隠元禅師)


その志を堅うしその志を虚しうす、
日常竹を種(う)ゑておのずから林を成す。
枝枝の秀気天澤を承(う)け、
節節の文明古今に播(し)く。
微風和雅の音を動かし、
葉葉の青標鳳吟を引く。
雪龍鐘を覆うて片玉を掛け、
日疎影を揺(うご)かして千金を浪たたす。
三径友は暢ぶ胸襟の眉、
秀を開いて茂り俯す群陰の操。
節霜を凌いで千古に靭(つよ)く、
名君子を標して聖賢を欽(つつし)む。




(意訳・私訳)


竹は、志が堅固で、自らを虚しくして伸び続ける。
竹を植えると、日ごろから伸び続け、増え続けて、おのずから自然と竹林となっていく。
竹の枝枝は天の恵みを受けてすがすがしい気に満ち、
その節々はとてもはっきりしていて、今も昔もその節操は広く行きわたっている。
そよ風が吹けば、さやさやとみやびな音をたて、
青い葉はさながら鳳凰の声のような妙なる音楽を奏でる。
雪が竹を覆うと、太陽のほんの一部が竹の葉を通して見え、
日の光は風に揺れる竹の葉に無限にきらめく。
隠遁仲間の友人たちがやってくれば、お互いに胸襟を開き語り合い、表情もおのずと和やかになる。
雪の中に少しだけ姿を現し、雪にうつむいているけれど、見えないところできちんと節操を保っている竹のようなわれら仲間よ。
この竹のように、われらの節操・節義はいかなる霜をもしのぎ、あらゆる時代や歴史の荒波にも打ち勝つ強さを持つ。
君子や士として自ら任じ、昔の聖人賢者を敬って生きていこう。