「愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。 」

卒業生に向けた校長メッセージが「感動的すぎる!」と話題に
http://youpouch.com/2011/03/19/132313/


「愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。 」

たしかに、この言葉はぐっと来る。

本当にそのとおりと思う。

この言葉に感動した人々が多いように、今、日本ではあちこちで、こうした心へ、こうした存在へ、脱皮し、変わる人々が澎湃と現れているのだと思う。

多くの日本人が、今回、そのような心で動いている。
義捐金やボランティア、いたわりのことば、励ましのことばの数々。
心を一つにして、この震災を乗り越えようとしている。

私が思うに、人間は、愛されることも、愛することも、おそらく両方大事だろう。

ただ、より多く与えよう、愛そうとする人こそが、より多く人からも与えられ、愛されるという法則はあると思う。

愛という言葉にもし曖昧さや弊害があるとするならば、友情や慈しみという言葉に置き換えてもいい。


「慈しまれるよりも、慈しむことを。」

「与えられるよりも、与えることを。」

それを各自が心がけ、実践する社会の方が、より多く自分自身も安心し、自分自身も優しくされることのできる社会であることはたしかと思う。


ケネディはかつてこう言った。

"Ask not what your country do for you,
Ask what you can do your country."


国があなたのために何をしくれるかと問うな。
あなたが国のために何をできるかを問え。


今の日本の中には、命がけで働いている菅首相や政府要路の人々や東電職員の方たちを応援する人々もいる一方で、ひたすらネガティブな批判や悪罵ばかりする人々が一部にはいる。

その人たちは、国や社会から、自分が愛されることのみを望み、自分が何を貢献し何ができるかについて、はたして自らに真摯に問い、実践しているのだろうか。


一昨日、菅首相が国民に向かって発したメッセージに、

「もう一度、日本を改めて創るんだ、そういう覚悟でこの危機に一緒に立ち向かっていこう。

どうか国民の皆様に一人ひとりがそういう思いで、家族や地域や職場の仲間や学校の仲間とともに、手と手を携え、自分たちがやれることは、自分たちができることは何なのか。

そういう思いを共にして、日本の危機を乗り越え、再建に向かって歩み出していただきたい」

という一節があった。

とても胸に響く、まさに今の時局にふさわしい呼びかけだったと思う。

この首相のメッセージは、まさに、

「愛される存在から愛する存在へ」

「与えられるよりも与えることへ」

「国に何かをしてもらおうと思うばかりでなく、国のために何かをしようとする存在へ」

そう、国民の意識を変えることを呼びかけたものだったと思う。

いま、あちこちで、多くのところで、期せずして、そのような心に意識が変わった人々や変わりつつある人々が澎湃と現れているのだと思う。

ネガティブな罵りや党派心は今の日本には全く不要だ。

この校長のすばらしいメッセージや、首相の呼びかけに応じて、各自、このような心を持っていこう。

そうすれば、日本の歴史を長年研究してきたアメリカの歴史学者が言ったように、「驚異的なまでに心をひとつにして、信じられないような創造力を発揮し、立ち向かって」、必ずこの危機を我々は乗り越えることができる。