三年ほど前、BS1で、「大統領との晩餐」というタイトルで、パキスタンの当時の大統領・ムシャラフの特集があっていた。
http://www.youtube.com/watch?v=ygNAigWJdbo
(以下は、その番組を見た時の感想)
クーデターによって政権を掌握した軍人。
けれども、民主主義や近代化を懸命に推進しようとしている人物。
軍服を着た指導者が、民主主義を熱心に推進するというのは、とても不思議な現象なのかもしれないけれど、パキスタンではそれが今日の現実。
多くの人々がそれを支持し、パキスタンの唯一の未来だと期待しているようだ。
実際、イスラム過激派の突き上げを押さえ込みながら、ムシャラフは少なくともイスラム過激派や、あるいは彼以前の無能な指導者に比べれば、はるかに現実的で民主的な政治を実行しているようだ。
イスラム過激派の神がかった政治よりは、ムシャラフの世俗的で合理的な政治の方が良いと、多くの穏健な国民は考えているようだった。
このドキュメント番組を制作した人は、ムシャラフにも直接インタビューしていたけれど、熱心に率直にパキスタンの置かれている現状や、近代化の必要や民主主義を説くムシャラフの様子は、私も番組を見ていてとても好感の持てる指導者だと思えた。
ムシャラフは、アフガニスタンにおけるソビエト侵攻以来の十年の戦争が、いかにパキスタンにも深刻な影響を及ぼしてきたかを、わかりやすく語っていた。
日本人が想像する以上に、パキスタンはアフガンでの十年戦争、およびその後のタリバンへのアメリカの攻撃などの動乱の、ものすごい津波のような衝撃を、ひしひしと感じてきたのだろう。
また、ムシャラフは、なぜパキスタンに民主主義が従来根付かなかったかを分析し、パキスタンが植民地的なシステムが多くのこっており、地域のボスが住民を支配していることを指摘し、また、人々に民主主義の意識がまったく存在しないことを指摘していた。
そのため、まずは市民に力を付けることが大事だと熱心に説いていた。
その姿はとても印象的だった。
ともかく、教育を普及させること、そうすれば、あとから結果はついてくるから、急激すぎる近代化よりも、教育の普及と漸進的な近代化が、一番だと説いていた。
それは、そうなのかもしれない。
見ていて、ひょっとしたら、明治の日本の指導者たち、西郷隆盛や大久保利通などは、案外こんな目をして、こんな口調で話す人だったのかもなあとなんとなく思った。
パキスタンの置かれている内外の状況は非常に厳しいものがあり、これからも綱渡りを強いられていくだろうけれど、ムシャラフという指導者を持てたことは、パキスタンにとって非常に幸運なことだったのかもしれない。
民主主義に至るには、それぞれの国の置かれている状況や歴史で、いろんなルートがあると思う。
フランスでも、ナポレオンが必要だった時代があったし、日本でも西郷や大久保が必要な時代があった。
そうした時代が過ぎ去ってみれば、選挙や議会で政治が運営していくことが当たり前になって、それができていない国に、ついつい性急に民主主義の完全な形態を押し付けようとしがちだけれど、状況によっては、独裁的な指導力を持った軍人が指導者になることも、民主主義のひとつのルートとして必要な場合もあるのかもしれない。
トルコのケマル・パシャや、エジプトのナセルや、そしておそらくはパキスタンのムシャラフは、そんな指導者だったような気がする。
フセインも、性急にアメリカが追い詰めて打倒しなければ、案外そういう道もありえたのかもしれない。
蒋介石ですら、その次の時代には、無事に国家が民主化していったのだから。
簡単には、独裁者や軍事支配だとか、民主主義ではないと、他国のことを決め付けることはできないんだろうなあと、パキスタンの今回のドキュメンタリーを見ていて思った。
ただ、個人の資質や指導力に、あまりにも頼りすぎていると、その国は案外もろいかもしれない。
ムシャラフが、イスラム過激派に暗殺されたら、あるいは、イスラム政党の力が強まって、ムシャラフ政権が打倒されたら、パキスタンはどうなるのだろう。
イランやタリバン政権下のアフガンのようになるのだろうか。
それも、国民が望むなら仕方がないのかもしれないけれど。
イスラム教の国の中で、世俗的で近代化された国家を建設することは、おそらく日本や西欧が想像する以上にものすごく難しいことだろう。
国際社会は、そこのところをよく理解して、過剰な圧力や、あるいは無関心によって、パキスタンの比較的世俗的な政権が崩壊しないようにした方が良いだろうなあと思った。