BS1 インド ガンジーの心はいま

三年ほど前、BS1で、「インド ガンジーの心はいま」という番組があっていた。

http://video.google.com/videoplay?docid=1446227007076661655#

(以下は、その番組を見た時の感想)


ガンジーの記憶や理念は、今はだいぶ忘れられてしまったのだろうか。

今日のインドの、経済発展にいそしみ、あるいはイスラムへの敵意をあらわにしている人々の姿や、未だにのこるカーストの差別の様子を見ていると、ガンジーの理念はもはや遠い過去になってしまい、今のインドではむしろあざ笑われているような感じだった。
中でも印象的だったのは、ある自分はガンジー主義者だと自称する老人が、イスラムのことを悪魔だと言っていた姿だった。
ガンジーの理念や生き方は、どこにいってしまったのだろうとため息をつきたくなる。

だが、その中にも、稀には、村人のために尽くしている被差別カースト出身の村長さんや、ヒンドゥーイスラムが和やかに和解して暮らしている村、などなど、インドも捨てたものじゃないという部分も取材されていた。
ただ、ごくごく、インド全体では一部のようだった。

全体として、ガンジーは、遠い昔のこととなりつつあるようだった。
なんだか、少し、さみしい気がした。

20世紀の奇跡だったガンジー
インドは、21世紀に、その理念や記憶を、どこまで大事にするのか、あるいは捨てて顧みなくなってしまうのか。

100歳以上のお年で、ガンジーの塩の行進の時に実際に会ったというお年寄りが、少しインタビューに答えて、ガンジーに会ったとき、本当にありがたい気持ちになったと言っていたのが印象的だった。
ただ、出会うだけで、人にありがたい気持ちを起こさせるとは、ガンジーってやっぱりすごい人だったんだろうなあと思う。

今日でも、これほどイスラムに対するヒンドゥーの人々の敵愾心が燃えていることを考えれば、二つの宗教の和解をあくまで主張し続けたガンジーは、途方もない理想主義者であったし、途方もない寛容な人だったわけで、ちょっと時代を先取りどころではない、人間の域を超えたものがあったように思われる。

もはや時代遅れだと、捨てて顧みられなくなったとしても、インドの地には、そこかしかに、少しずつは、ガンジーの足跡や、響きが残り続けていくのかもしれない。
それを、どれだけ確かなものに、大きなものにしていくか、あるいは、ほとんど消滅させていってしまうかは、今のインドの人たち、あるいは今を生きる他の国々も含めた全ての世界の人の生き方次第なんだろうけれど。

かつて、その途方もない理想主義と、途方もない寛容の主張が、実際に歴史を動かし、奇跡を起こしたことがあった。
そうした理想や寛容を、絵空事や理想主義だと笑うことは簡単で、いわゆる現実主義に突っ走ることは、一見とても利口で賢い人間のすることに見えるかもしれない。
だが、それだけでは、決して歴史が動かないし、奇跡は起こらないし、人にありがたいという気持ちを起こさせる生き方にはならないのではなかろうか。

人に出会うだけでありがたいという気持ちを起こさせるような人になるのは、やっぱり単なる経済発展や敵への敵愾心などではない、そのもっと向こうにある、人間性や理想主義や寛容なのだろうと思う。
21世紀に、その理念や生き方や、その響きが、遠くなってしまって、忘れられかかっているからこそ、もう一度ガンジーを見直してみるのは、大事なことかもしれない。