東京裁判と戦時指導者の責任と当時の国内法

(2008年10月頃記す)

東京裁判を批判することと、戦時指導者の責任を追及することは、本来はまったく別個の事柄と思う。

筋としては、不法な東京裁判を批判した上で、日本人自身の手で戦時指導者の責任を追及するということが主張されてしかるべきだと思うのだが、

東京裁判批判をする人が往々にして戦時指導者の責任を全く不問に付したり、あるいは戦時指導者の責任を追及する人が東京裁判という不当な裁判を擁護したりするのは、いったいなんなのだろう。

ややこしや・・・。
日本は、本当にねじれていると思う。

東京裁判を批判した上で、戦時指導者の責任を問い、戦後体制を打破し、対米従属から脱却する、というのは、本来ならば全部セットで問わなければならないはずなのに、てんでばらばらになっているというのは、いったいどうなっているのだろう。

しかし、戦前の国内法から、戦時指導者の責任を追及するとしたら、どういう法的根拠があるのか、ちょっと考えてみると、なかなか難しい。

おそらく、帝国憲法から「輔弼」の責任を果たせなかったことから、戦時指導者の責任を一般的に問うことは可能と思う。

さらに、三国同盟や日米開戦を不当に遂行しようとした一部の人には、天皇の意思に背いたという論理立てが可能かとも思う。

満州事変や日中戦争において、政府の不拡大方針を無視して戦争を拡大した軍人たちは、しかしながら、帝国憲法だと統帥権が独立しているので、どうやったら法的に追及できるのか、憲法だけでは難しそうだ。

昭和天皇は、三国同盟にはそれなりに反対の意思をもらそうとしていたようだが、日中戦争には、ほぼ沈黙していて、何も意思を表明していない。

しかし、「広く会議を興し、万機公論に決すべし」の五箇条の御誓文の文言を根拠に、デモクラシーを破壊し政府の指示を無視した軍部の独断専行を、「公論」を破壊し無視したということで責任追及できると思う。

戦前の国内法で、戦時指導者の責任を追及する試みって、誰かやってるんだろうか。
もしそんな先行研究があったら見てみたい。

パール判事が言うように、当時の国際法から日本を、特に連合国が裁くことが不当であったとしても、日本人自身が国内法で戦時指導者を裁く試みはあってしかるべきと思う。

にしても、東京裁判を批判した上で、日本人自身の手で戦時指導者の責任を追及する、っていう、至極まっとうなことが、どうして右も左もできないのだろう。

ややこしい。

また、A級戦犯の厄介で難しいところは、彼らの中に戦時指導者として責任を鋭く追及されるべき人と、そうでない人と、また他に同様に裁かれるべき人が裁かれなかったという問題がある。

私の考えで、私見に過ぎないけれど、おそらく、広田弘毅はパールのみならずレーリンクも主張しているように、死刑は不当だと思う。
また、松井石根木村兵太郎も、おそらくは不当と思う。

東条英機板垣征四郎土肥原賢二武藤章らは、おそらく死刑判決もやむをえないと思うが、その罪状は、おそらくは日米開戦以降の罪状ではなくて、日中戦争時の罪状によるようにするのが妥当ではないかと思う。
また、本来ならば、近衛文麿石原莞爾や石井四郎らは、東条らと同様か、あるいはそれ以上に裁かれるべき存在だったのかもしれない。

にしても、本当にややこしい問題だなあ。
なだぎ武みたいに、踊らざるを得ないような気もしてくる・・・。


(以上は私の文章。

以下は知人のどろさんの文章)


日本が自分で戦争責任を裁くとすると、事後法禁止の原則があるので戦前の法律で裁くことになります。そこで、

>戦前の国内法から、戦時指導者の責任を追及するとしたら、どういう法的根拠があるのか

面白い発想です。
戦前の誤りの多くは日韓併合など政治判断の過誤ですから、すべてを国内法で裁くことは出来ないでしょう。
しかしこと戦犯については裁けるのではないでしょうか。

まず満州事変は自作自演で始められた戦争です。
政府をだまして現地軍と朝鮮軍が突っ走った戦争です。
こういうのは私戦といいます。
陸軍刑法では専権罪といいます。
ですからこれには専権罪と私戦罪(※末尾註)が適用されるべきでした。
専権罪の最高刑は死刑です。

板垣征四郎石原莞爾、河本末守、朝鮮軍司令官林銑十郎中将は間違いなく死刑ですね。
板垣が死んで橋本欣五郎が失脚していれば南京事件は起きていなかったかも知れません。

専権罪と言えば南京戦もそうです。
大本営の停止命令を無視して南京に進軍を命じたのは、中支方面軍司令官松井石根です。これもその時点で本国に召還して死刑にすべきでした。
上海派遣軍の司令官朝香宮鳩彦も同罪です。
松井と一緒になって南京進軍を決めた参謀たちは、軍の(つまり天皇の)武器弾薬を私的に使ったんですから、大規模な官品横領罪と合わせて無期懲役がふさわしい。
そうすれば長勇なんかが沖縄戦まで生き残って指揮を執ることもなかった。

ただ、これらの重罪をあとから政府が追認してしまったんですよね。
私戦罪を追認すれば罪がなかったことになるのか、それとも違法行為を追認する権限など国家にはないのだから、厳罰に処さなかった不作為を追及できるのか、そこらへんはよく分かりません。

慰安婦制度はその総体が「娼妓取締規則」違反です。
娼婦を管轄する権限のない軍が管轄していたのですからね。

満州事変以後の日本の行動は全体として不戦条約違反ですが、条約を国内に適用するための国内法が整備されていなかったので、個人を犯罪者として砂漠のは難しいかもしれません。
しかし戦史を細かく見ていけば、いたる所に命令違反や官品横領、器物損壊、それらについての不真性不作為などが見られると思います。

こういう処罰が出来なかった戦前の日本は、やはり屋台骨が腐っていました。
悔しいけど東京裁判には一定の意義を見いださざるを得ませんね。

※註
専権罪

陸軍刑法 第二編 罪 第二章 擅権(専権)の罪 
 第35条
  司令官外国に対し故なく戦闘を開始したるときは死刑に処す
 第37条
  司令官権外の事に於てやむを得ざる理由なくして擅に軍隊を進退したるときは死刑又は無期若は7年以上の禁錮に処す
 第38条
  命令を待たず故なく戦闘を為したる者は死刑又は無期若は7年以上の禁錮に処す

② 私戦予備及び陰謀

大日本帝国刑法
第九十三条
 
外国に対して私的に戦闘行為をする目的で、その予備又は陰謀をした者は、三月以上五年以下の禁錮に処する。
ただし、自首した者は、その刑を免除する。


(以下は再び私の文章)



陸軍刑法の専権罪や私戦罪を、きちんと満州事変や日中戦争で独断専行した軍人たちに追及し、すぐに糾問断罪できなかったことが、その後の日本の言語を絶した悲劇の最大の原因だったと思う。

アメリカに任せて、不当な裁判を受け入れてしまい、日本人自身できちんとした法的根拠によって、戦時指導者の罪を裁けなかったことが、今の日本のいろんな堕落やねじれの、大きな原因のひとつになっているように思う。

にしても、昭和初期の政治家やマスコミの、軍部への弱腰や迎合的な姿勢はいったい何だったのだろう。
なんで、あんなに無能者ばかりだったのだろうか。

幕末維新の頃であれば、もうちょっと気骨のある人間がいっぱいいたろうに。

歴史をつくるのは、最終的には「人」なのだと思う。
法律をきちんと知って遵守し駆使できる人材がいて、そうした人たちが事実を把握し、義に生きてこそ、一国の命脈は保たれるのだと思う。

昭和初期は、あまりにもその「人」が乏しかった。
今は、はたしてどれだけそうした「人」を育てることができているのだろう。