二年半ほど前、Nスペで、「調査報告 日本軍と阿片」という番組があっていた。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080817.html
(以下はその番組を見た時の感想)
この番組を見ていて、暗澹たる気持ちになった。
関東軍が機密費の捻出のために大量のアヘンの生産と売買を行い、里見甫を通じて日中戦争時においても占領した中国の各地域でアヘンの大量の売買を行っていたこと。
汪兆銘政府の予算の相当な部分が、このアヘンによる収入によって賄われていたこと。
日本軍のアヘンとの関わりは、ちょっとだけ知ってはいたが、これほど大々的なものだったとは。
かつて林則徐が、イギリスのアヘンを取り締まろうとして、阿片戦争が起こり、列強に中国が侵略された時に、多くの日本人は危機感を抱き、そして何より義憤を抱いていたはずだった。
直接上海を見た高杉晋作や今井栄らもそうだったろうし、間接的に魏源の海国図志を読んで情勢を知った安井息軒や雲井龍雄らもそうだったろう。
島津斉彬や阿部正弘らも、リアルタイムに阿片戦争を知って危機感を抱いていたが、イギリスの非道を憎み憤る気持ちも当然含まれていたのではなかろうか
幕末・明治の、維新の頃の志士たちというのは、皆、阿片戦争における中国の悲運に同情し、危機感を抱き、欧米列強の非道・理不尽に憤慨するところから出発したはずだった。
それが、いつの間にやら、欧米列強以上に愚劣で露骨なアヘンの生産と売買に乗り出したとは、いったいどういうことなのだろう。
日本人の道義は地に落ちてしまっていた、ということだろうか。
なんとも嘆かわしい気がする。
汪兆銘も、人柄には立派なところもあったのかもしれないし、立場上さまざまな苦しいものもあったのかもしれないが、阿片の費用によって賄われるような政府の長におさまってしまったことは、どんなにその動機や事情に斟酌することがあったとしても、林則徐以来の中国の悲願や歴史を考えれば、なんとも弁解のしようのないものなのかもしれない。
アヘンなどに手を染めて、その金で事をなそうとしていたのだから、日中戦争の日本軍も汪兆銘政府も、やはり敗れて滅びざるを得なかったように思えてくる。
道義がない。
林則徐の志にかなっていたのは、やはり、あの時代の日本軍や汪兆銘政府よりも、国民党ないし共産党だったのかもしれない。
一国のよって立つものは道義でなければならない。
どうして、戦時中の日本はそれを忘れてしまったのだろう。
アヘンに手を染めたことは、日本軍の大きな汚点として、忘れてはならぬことなのかもしれない。
欧米列強の暴虐に対抗し、東亜の自立と平和を実現しようとするのが、幕末・明治の日本の志だったはずなのに、いつの間にやら欧米列強と同様の暴虐非道を率先して東亜の地で行う国になってしまっていた。
本当に苦い歴史だと思う。
因果の道理を知らず、道義正義を軽んじ、自国中心の目先の国益主義に走ると、ああなってしまうのだろう。
林則徐や魏源や、幕末の本当に高潔だった志士たちの心を、戦時中の日本はあまりにも忘れてしまっていた。
かえすがえすも、残念でならないし、慚愧しなければならぬことだと、番組を見ていて思った。