Nスペ 果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦

二年半ほど前、Nスペで「果てなき消耗戦 証言記録 レイテ決戦」があっていたので見た。

http://www.nhk.or.jp/special/onair/080815.html

(以下はその番組を見た時の感想)



レイテは、大叔父が戦死した地でもある。

地獄としか形容しようのない戦場の様子について、この番組を見てて、こんなにひどかったのかとあらためて暗澹とした気持ちになった。

大叔父が具体的にどの時点でどのような状況で亡くなったのはもはやわからないのだけれど、それぞれの悲惨な日本兵の置かれた状況の、どの状況にいてもおかしくないし、それらの苦しみを受けた可能性がある。

八万の日本兵が、あのような苦しみを受けて、あのような死に方をしなければならなかったのは何故なのだろう。

番組で、武藤章山下奉文が、大本営にあまりにも杜撰な作戦だと抗議し、作戦の中止を訴えたエピソードが紹介されていた。
戦犯として、武藤や山下は戦争責任を問われて処刑されたけれど、そうした話を聞くと、彼らよりも大本営の連中の方がよほど罪が重かったと思えてくる。
服部卓四郎や瀬島竜三などが当時の大本営の参謀だろうけれど、彼らは戦争責任を本当にとったのだろうか。

ろくに物資の補給もなく、相手の戦力状況への完全に誤った情報と判断に基づいた作戦が、その誤りに気づいた後にも中止されずに、いつまでも続行されて死者が出続けるという、あの時代の日本軍・大本営の神経と倫理が理解に苦しむ。

大叔父のことも考えると、やっぱり私はあの時代の大本営や軍部を許す気にはなれない。
彼らの責任を風化させて、むやみにあの戦争を美化し賛美する人間の、神経と倫理は理解できない。

レイテ戦は、今でも重いものを投げかけていると思う。
戦死者たちの死を無駄にしないためにも、レイテ戦の教訓というのは、本当にしっかりと後世の人間が繰り返し思い返し、胸に刻まねばならないことだろう。
責任や倫理の退廃は、とんでもない悲劇を招きかねないということを。

もちろん、日本軍の一般兵卒も本当にかわいそうだけれど、現地の人々も筆舌に尽くしがたい苦しみを舐めたようである。
補給物資がないために、日本軍は現地調達、つまり略奪に物資の調達を頼らざるを得ず、そのために現地の住民の恨みを買って、ゲリラ戦が起こり、そこから疑心暗鬼でさらなる相互の憎悪の応酬が続いた。

諸悪の根源は、兵站を軽視し、現地調達に依存せざるを得ない状況に派遣軍を追い込んだ大本営の作戦立案にある。
兵站さえしっかりしていれば、軍規を厳正に保ち、現地人の恨みを極力買わないような戦闘も展開できたろう。
兵站のきちんと確保できない戦闘ならば、そもそも作戦立案すべきではない。

レイテ戦を考えれば考えるほど、やっぱり大本営や許しがたい。

また、東条英機鈴木貫太郎の間に挟まれて、とかく地味であんまり印象も強くないけれど、小磯国昭というのは、とんでもない最悪の首相・戦時指導者だったのではないかと思う。
あれほどの無能はいなかったのではなかろうか。
レイテ戦も、小磯が主導し、無為無策で拡大したことを思うと、東条や鈴木よりはるかに小磯こそが重大な責任があるような気もしてくる。

兵站、情報のきちんとした検討や管理、作戦立案への最低限の責任感と倫理、などについて、レイテ戦はあまりにも大きな教訓を秘めていると思う。

そのうち、時間を見つけて、レイテ戦についてはもっと調べてみよう。