二年半ほど前、NNNドキュメントで「証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦」という番組があっていた。
http://www.ntv.co.jp/document/back/200808.html
(以下は、その番組を見た時の感想)
沖縄の戦場における、集団自決について、いろんな方が記憶を語っておられた。
生き地獄、だと思う。
夫が妻を剃刀で首を切って殺したり、家族が集まって手榴弾で自決したり、石でお互いに打ち合って殺しあう。
それも、決して相手が憎いからではない。
本当は、決して殺したくない、愛しい家族なのに、
米軍が来たら皆殺しになると信じこまされ、生きて虜囚の辱めを受けるなと叩き込まされ、集団自決をせざるを得ない状況に追い込まれていたからだった。
なんとも、あまりにも悲惨で、このような地獄を沖縄の人々に強いた、当時の日本のあり方というのは、やはり重大な問題があったと言わざるを得ないと思った。
軍の命令があったか否かが、昨年の大江裁判で問題になっていたけれど、
軍の命令があったと聞いた、と証言している方も、この番組にも出ておられた。
嘘をわざわざつくとは思えない。
それに、軍の命令というのを狭義に解釈せずに、有形無形の誘導や強制ということを考えれば、当時沖縄のあちこちで集団自決があったことが、島民の自発性によるものだけとは考えられず、そのような「自発性」に誘導強制した当時の軍の指導のあり方や時代の雰囲気を考えれば、いずれにしろ沖縄の人々に対して当時の日本軍が無罪であったとは到底言えまい。
沖縄以外の日本の各地は、たまたま本土決戦が避けれたけれど、もし降伏の時期が遅れれば、九州なども沖縄同様の悲惨な戦場になっていたのだろう。
とすれば、これは決して他人事ではなかったはずだ。
今もって、沖縄に対して、太田中将の遺言も無視して、格別の配慮をするどころか、過重な米軍基地の負担を押し付け、そのうえ集団自決の歴史まで風化無化させるような風潮があるのは、真に申し訳ない気がする。
心ある日本人であるならば、こうした証言のひとつひとつにきちんと耳を傾けて風化させず、少しは沖縄に太田中将の遺言を受けてまともな配慮をし、過重な基地負担の軽減を志し努力するのが、義務であり道義というものだろう。
にしても、あまりにもあの戦争は犠牲が大きすぎた。
沖縄の地上戦の前に、降伏することはできなかったのだろうか。
サイパン陥落、あるいはせめてレイテ決戦の敗戦で、どうにか手を打てなかったのだろうか。
かえすがえすも、無念であり、あの時代の指導者は庶民の命をなんと心得ていたのだろうと思う。
手駒か何かと思っていたのだろうか。
自国の民衆の生命も守れない政府や軍、それどころか死を強制するなんてのは、本当に不条理極まりないと思う。