もう三年ぐらい前になるが、ETV特集で「焼け跡から生まれた憲法草案」という、敗戦直後の「憲法調査会」についての特集番組があっていた。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2007/0210.html
(以下は、その番組を見た時の感想)
敗戦直後から、鈴木安蔵ら七人が集まって、国民主権や天皇の役割を儀礼にとどめた憲法草案を練ったのが「憲法調査会」。
メンバーのひとりの岩淵辰雄は、敗戦直後に、官僚勢力の打破・戦犯裁判を日本人の手で行うこと・憲法改正、の三つを考えたそうだ。
高野岩三郎など、早速共和制を構想したりしたらしい。
戦前の憲法に対する評価や、戦後憲法の評価は、いまもって多くの議論があるむずかしいところだけれど、それらの是非をとりあえず置いといて、ともかく敗戦直後から意欲的に、敗戦を憲法改正の好機としてとらえて、積極的にとらえなおそうという人々がこんなにいたことに驚く。
彼らは、けっこう七人の間でも、けっこう思想の幅があったらしいけれど、軍部や警察政治への批判という点では一致していたらしい。
何年か前に流行っていたダワーの「敗北を抱きしめて」そのものというか、敗戦後の現象は、押し付けや強制ばかりでなく、日本人が主体的に受け止めた部分も、確かにあったのだろうと改めて思った。
しばしば言われることではあるけれど、GHQの憲法草案にも、ラウエルを経由して、けっこう憲法調査会の草案が影響していたそうだ。
鈴木安蔵は、土佐の自由民権運動や植木枝盛を研究していたらしくて、そうした伝統が、鈴木を経由して、今の日本国憲法にずいぶん迂回しながらも流れ込んでいると言えなくもないのかもしれない。
森戸辰男発案の生存権も、現憲法25条に生きている。
もちろん、今の憲法は敗戦後の占領下で、戦犯裁判や公職追放のさなかでできているから、全く押し付けではないというのも、おかしな理屈と思う。
だが、全くの押し付けでもなく、けっこう主体的に日本人が構想し、作成した部分もあるとも言える。
そのあたりを、どう冷静に評価していくかが、いま問われているのかもしれない。
憲法調査会の人々の、すべてが正しかったか、評価すべきかはわからないし、必ずしもそうではないかもしれないけれど、
警察政治的国家を打破しようとして、主体的に言論の自由や国民主権の国家を敗戦直後の混乱期に、積極的に構想しようとした意欲だけは、おそらく今もって何かしらの光を投げかける、とても大事なもののように思われた。