[証言記録 兵士たちの戦争]中国雲南 玉砕・来なかった援軍 〜福岡県・陸軍第56師団〜

もうだいぶ前だけれど、テレビで、「[証言記録 兵士たちの戦争]中国雲南 玉砕・来なかった援軍 〜福岡県・陸軍第56師団〜」という番組を見た。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001210024_00000


第五十六師団、通称「龍兵団」の拉孟での戦いの特集。

(以下は、その番組を見た時の感想)


龍兵団の拉孟での戦いは、断片的にちょっとだけ、何かの折に私も聴いたことがあったけれど、あんまり詳しく知らなかったので、そうだったのかと番組を見ていていろいろ考えさせられた。

第五十六師団は、久留米で編成され、主に福岡出身の兵隊から編成されていた部隊で、当時日本最強とも言われていた最精鋭部隊だったそうだ。

援蒋ルートを断つために、雲南省の拉孟に進出、そこで孤立無援の闘いを強いられ、たった千二百名ぐらいの兵力で五万の中国軍を相手に死闘を繰り広げ、ついに玉砕したらしい。

番組で、奇跡的に生き残った何人かの元兵士の方のインタビューがあっていて、撤退を命じてくれれば斬り抜けて撤退したのに、援軍にいくから三ヶ月の間死守せよと命令が出ていたために全滅した、なぜ上層部は撤退を命じなかったのかと、無念でならぬ感じで話しておられる方もいた。

辻政信が、その頃、ビルマ方面や雲南方面の作戦を指揮していたらしく、龍兵団をもとから救いだす気もなく見込みもなかったのに、断作戦という救援作戦を立案し、事実上は見捨てて玉砕を強いたらしい。
辻政信は、戦時中どの局面を見てもだいたいろくでもないことばかりしているように感じるが、拉孟の龍兵団の見殺しは本当に許しがたい気がする。

番組で、福岡市内の陸軍墓地で毎月生き残った方や遺族の方による龍兵団の月参りがあっている様子が映っていたけれど、陸軍墓地って六本松にある陸軍墓地だろうか。
中に入ったことはないのだけれど、何度もその近くを通ったことはあるので、あそこにそのような方たちの墓碑があったのかと、はじめて知って驚いた。
いつかお参りしてみたい気がする。

龍兵団については、「菊と龍」という本も光文社から出ているそうなので、近いうちに読んでみよう。

蒋介石は、龍兵団の闘いぶりにたいへん感銘を受けて、龍兵団の玉砕のあと、中国の全軍に龍兵団を見習うようにという訓示を出したそうである。
敵をして感じいらせるほどの闘いぶりだったのだろう。

うーん、地元にいながら、知らないことがいっぱいあるなぁ。。


(その後、相良俊輔『菊と竜』を読んだ。とても考えさせられる一冊だった。)