■大阪都・中京都構想「迷惑千万」と石原都知事
(読売新聞 - 12月11日 09:58)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101211-00000192-yom-pol
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大阪府の橋下徹知事と名古屋市の河村たかし市長がそれぞれ掲げる「大阪都」「中京都」構想を巡り、東京都の石原慎太郎知事は10日の定例記者会見で、「国の政府があるところが首都で、二つも三つも都があるわけがない。東京にとっては迷惑千万だ」とけん制した。
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昔は東京も「東京府」だったのだけれど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%BA%9C
明治維新から1943年までは東京は「東京府」で、1943年に「東京都」になった。
べつに首都が「都」と決まっているわけではないし、東京が都になったのは、戦時体制という日本では極めて特異な時代だとも言える。
もともと、戦前においては、京都と東京はどちらが首都かはっきりしていなかった。
明治天皇はあくまで一時的に東京に行幸、つまり「東幸」「奠都」されただけで、いずれ京都に還御する予定だったのが、とうとう諸般の事情により還御されることがなかっただけである。
明治天皇御自身は特に晩年京都に還りたいと述べられていたそうである。
ただの一度も正式に東京に遷都するということが発表されたことはない。
現代に至るまで、東京に遷都する正式な詔勅が発布されたわけでもないし、天皇の高御座は京都にあることを考えれば、今も潜在的には東京と京都は同格で両方とも首都とみなすべきではないか。
1943年以降の行政区分をもって、あたかも東京が「都」だから首都だと言うのは、ちょっと正確さを欠き過ぎているように思う。
もっと言うならば、かつて明四事件で多くの志士が願い、そのために命を落とした、そして明治天皇御自身が本当は望んでおられた、京都への御還御が、そろそろ提起されてもいいのではないか。
万事に石原さんは言うことが雑でよくわからないことが多いが、愛国や保守を自称するのであれば、わが国の国柄について、伝統について、そして遷都や奠都の経緯について、正確な認識と表現を心がけて欲しいものである。