京都旅行記 その1 泉涌寺

京都旅行記 その1 泉涌寺


私の知人が、泉涌寺雲龍院というところがとてもすばらしいところで、そこは抹茶も出してくれて、本当にすばらしく豊かな時を過ごせる、ということを以前教えてくれた。


また、私の母が、以前泉涌寺の即成院で、阿弥陀如来と二十五菩薩の像を見て、とても素晴らしかった、と言っていた。


というわけで、いつか京都に行ったら泉涌寺に行ってみたいと思っていて、かねての念願がかなって、ついに今回行くことができた。


京都駅から奈良線で駅ひとつめの東福寺駅で降りると、泉涌寺はすぐ近く。
とても便利なところである。


しかし、駅からちょっと歩いて、泉涌寺の山門をくぐると、高い木立が道の両側に立ち並び、森閑とした雰囲気。


私は朝の七時半頃に着いたのだけれど、まだ一番駅から近くにある塔頭の即成院は開いてなかったので、あとで行くことにし、まずは法音院の不空羂索観音にお参りし、そのあと戒光寺にお参り。
戒光寺には、とても大きな釈迦如来像があり、しばらくその御像の前に座って御像を見て過ごした。


http://www.mitera.org/kaikouji.php


なんというか、釈迦如来の慈悲にあらためて思い至り、ジャータカに説かれるように、無数の間生まれ変わって修行を積んで悟りを目指してくださったのは、ひとえに我々のような迷い苦しんでいる凡夫のためなのだなぁということを思った。
深い慈悲を感じる御像だった。


そのあと、今熊野観音寺にお参り。
http://www.mitera.org/imakumano.php


ここは、泉涌寺の参道から少しさらに山に入っていったところにあり、緑がいっぱいでとても心地良い道だった。



石段をかなり上った上に境内があるのだけれど、ここに来て、驚いた。
というのは、一週間ほど前、八月三十一日の朝に見た不思議な夢と、だいたいにおいて地形が一致しているので、いま思えば今熊野寺のことだったんだと気付いた。
大きな大師堂があるのも一致するし、境内に大きな樹があるのも一致。
菩提樹の樹だったんだなぁ。
観音や御大師様の御導きか、実にありがたい夢であり、またお参りだった。
世の中不思議なこともあるものである。


本堂に上がって観音経を唱えてお参りしていたら、あくまで私の妄想かもしれないけれど、脳裏に観音様がこうおっしゃっているような気がした。


「世の中の人の心の声を聞くことと、自分の心の声を聞くことが、「観音」です。」


と。
なるほどーっと思った。
たしかに、世の中の人の心の声に耳を澄まし、自分の心の声に耳を澄まし、この二つに耳を傾けていくことが、何よりも大切かもしれない。

それから、さらに道を歩いていくと、孝明天皇の御陵に続く道があった。
歩いていくと、途中で立ち入り禁止の掲示が出ていて、それ以上先には進めなかったのだけれど、遠くの方に孝明天皇とその母の御陵というのがかすかに見えた。
かなり立派な御陵で、よく装飾や彩色の施された建物もあるようだった。
孝明天皇は一説には最後は暗殺だったというし、御気の毒な、重荷の多い人生だったと思うけれど、泉涌寺の境内に眠っていると知って、なんだか少しほっとした気がした。
これほど良い場所に眠っているならば、きっと他のところよりは良いだろうと思う。


それから、泉涌寺の本堂にお参り。
とても立派な境内で、釈迦・阿弥陀弥勒の三世の仏を祀ってある御堂と、その隣に釈尊仏舎利をおさめているという舎利殿があった。
その向こうに、皇室がお参りに来た時に過ごすという場所があり、歴代の皇室の念持仏を収めた蔵があった。
泉涌寺は、多くの天皇の墓がある、いわば皇室の菩提寺



境内には、泉涌寺の名前の由来となった泉が湧いている場所があり、泉が湧いている場所そのものは社があって直接は見れないのだけれど、そこから水が引いてある池があり、そこにちょうど咲いている百日紅の花が散っていて、とてもゆかしい趣があった。


境内にはもうひとつ、楊貴妃観音という、昔は百年に一度御開帳の秘仏だったという中国から勧請された観音像があり、たしかに不思議な趣があった。


それからちょっと歩いていくと、雲龍院があった。
ここは薬師如来日光菩薩月光菩薩の美しい御像もあり、またとても趣きのあるいろんな部屋があった。
私以外、誰も訪れている人はおらず、ゆっくり一人で過ごすことができた。
どこでも好きな部屋に、あとで頼めば抹茶を持って来てくださることになっていて、私は「月窓の部屋」という部屋でいただいた。
品の良いお寺の坊守さん(?)が抹茶とお菓子を持って来てくださって、一人でゆっくり庭を見ながらいただいたけれど、こんなにおいしい抹茶とお菓子はいただいたことがないというぐらいすばらしかった。
鳥の音ものどかに聞こえて、本当にゆっくりとしたすばらしいひとときだった。


雲龍院には、大石内蔵助が書いた「龍淵」という書が残されていて、展示されていて見ることができるのだけれど、すごい字で驚いた。
やっぱり、大石内蔵助、ただものではない。
絶対、田舎の小藩の一家老の字ではなく、これは天下の英傑の字だなぁと思った。
本当に不思議な人物である。


雲龍院でゆっくりくつろいだあとに、即成院に行った。
即成院は、阿弥陀如来と二十五体の菩薩の像がある。
坊守さんが詳しく解説してくださり、それによると、元々は平等院鳳凰堂の近くに平等院をつくった藤原頼道の息子がつくらせた仏像だったそうだ。
ただ、その後秀吉の時にお寺のあった場所が伏見城の造営にひっかかって立ち退きを命じられ、その後場所を移転したが、明治の廃仏毀釈の時に廃寺となり、仏像だけは命がけで地元の人々が守ったおかげでかろうじて難を逃れたそうだ。
それで、明治になってしばらくしてから、泉涌寺の境内の塔頭に迎えられることになったらしい。
本当にどれもとても生き生きした躍動感ある仏像で、深い感銘を受けた。
いかに平安時代の人の心に浄土教が生きていたか、またその来迎を願っていたか、あるいはいかにその救いをわかりやすいように伝えようとしたか、その祈りや熱意をあらためて深く感じさせられた。


泉涌寺は本当に良いところだった。
また、訪れたいと思う。