メモ帳

“The path of the righteous is like the morning sun,
shining ever brighter till the full light of day.”
(Proverbs 4:18 NIV)


“Kaj la vojo de piuloj estas kiel lumo leviĝanta,
Kiu ĉiam pli lumas ĝis plena tagiĝo.”
(Sentencoj 4:18)


「正しい者の道は、
夜明けの光のようだ、
いよいよ輝きを増して真昼となる。」
箴言 第四章 十八節)


"iustorum autem semita quasi lux splendens procedit et crescit usque ad perfectam diem"
(Proverbia 4:18)






「国民精紳作興に関する詔書」(大正十二年十一月十日)

 朕惟(おも)うに、国家興隆の本は国民精神の剛健に在り。これを涵養し、これを振作して、もって国本を固くせざるべからず。これをもって先帝意を教育に留めさせられ、国体に基き淵源に遡り、皇祖皇宗の遺訓を掲けてその大綱を昭示したまい、後また臣民に詔して忠実勤倹を勤め、信義の訓を申ねて荒怠の誡を垂れたまえり。これ皆、道徳を尊重して国民精神を涵養振作する所以の皇謨に非ざるなし。爾来趨向一定して効果大に著れ、もって国家の興隆を致せり。朕、即位以來、夙夜兢兢として常に紹述を思いしに、にわかに災変に遭いて憂悚こもごも至れり。
 輓近、学術ますます開け、人智日に進む。しかれども、浮華放縦の習い漸く萠し、軽佻詭激の風もまた生ず。今に及びて時弊をあらためずんば、あるいは前緒を失墜せんことを恐る。いわんや今次の災禍甚だ大にして、文化の紹復・国家の振興は皆国民の精神に待つをや。これ実に上下協戮・振作更張の時なり。振作更張の道は他なし、先帝の聖訓に恪遵してその実行を挙ぐるに在るのみ。よろしく教育の淵源を崇びて智徳の並進を努め、綱紀を粛正し風俗を匡励し、浮華放縦を斥けて、質実剛健に趨き、軽兆詭激を矯めて、醇厚中正に帰し、人倫を明らかにして親和を致し、公徳を守りて秩序を保ち、責任を重んじ節制尚び、忠孝義勇の美を揚げ、博愛共存の誼を篤くし、入りては恭倹勤敏、業に服し産を治め、出でては一己の利害に偏せずして力を公益世務に竭し、もって国家の興隆と民族の安栄・社会の福祉とを図るべし。朕は臣民の協翼に頼りて、いよいよ国本を固くし、もって大業を恢弘せんことを冀う。なんじ臣民、それこれを勉めよ。




「世界平和克復の詔勅

朕惟(おも)うに、今次の大戦乱は兵戈五年に弥(わた)り世界を聳動せしめたるも、我が連合諸友邦勇奮努力の威烈により、戦氛(せんふん)一掃、平和全く復するに至りたるは、朕の甚た懌(よろこ)ぶところなり。今この紛擾の局を収め、安寧を将来に規(はか)るは、もとより諸友邦の協同爕理(しょうり)に須(ま)たざるべからず。嚮(さき)に講和会議の仏国に開かるるや、朕また全権委員を簡派しその商議に参ぜしめしに、平和永遠の協定新たに成り、国際連盟の規模ここに立つ。これ朕が中心実に欣幸とするところなると共に、また今後国家負荷の重大なるを感ぜずんばあらさるなり。
今や世運一展し、時局丕(おおい)に変ず。よろしく奮励自彊、隨時順応の道を講ずべきの秋(とき)なり。なんじ臣民、それ深くこれに省み、進みては万国の公是に循(したが)い、世界の大経に仗(よ)り、もって連盟平和の実を挙げんことを思い、退いては重厚堅実を旨とし、浮華驕奢を戒め、国力を培養して時世の進運に伴わんことに勉めざるべからず。
朕は永く友邦と偕(とも)に和平の慶により休明の澤を同じくせんことを期し、朕が忠良なる臣民の一心協力に倚藉し、衆庶の康福を充足し、文明の風化を広敷し、ますます祖宗の洪業を光恢せんことを庶幾う。なんじ臣民、それよく朕が旨を体せよ。
大正九年一月十日)



ドイツ国に対する宣戦の詔書

天佑を保有万世一系の皇祚を践める大日本国皇帝は、忠実勇武なる汝有衆に示す。
朕、ここにドイツ国に対して戦を宣す。朕が陸海軍はよろしく力を極めて戦闘の事に従うべく、朕が百僚有司はよろしく職務に率循して軍国の目的を達するに勗(つと)むべし。およそ国際条規の範囲において一切の手段を尽し必ず遺算なからんことを期せよ。
朕は深く現時欧州戦乱の殃禍を憂い、専ら局外中立を恪守し、もって東洋の平和を保持するを念とせり。この時にあたり、ドイツ国の行動はついに朕の同盟国たる大ブリテン国をして戦端を開くのやむなきに至らしめ、その租借地たる膠州灣においてもまた日夜戦備を修め、その艦艇荐(しきり)に東亜の海洋に出沒して帝国および與國の通商貿易ために威圧を受け、極東の平和はまさに危殆に瀕せり。ここにおいて朕の政府と大ブリテン国皇帝陛下の政府とは、相互隔意なき協議を遂げ、両国政府は同盟協約の予期せる全般の利益を防護するがため必要なる措置を執るに一致したり。朕はこの目的を達せんとするにあたり、なお努めて平和の手段を悉(つく)さんことを欲し、まず朕の政府をして誠意をもってドイツ帝国政府に勧告する所あらしめたり。しかれども所定の期日に及ぶも、朕の政府は終にその応諾の回牒を得るに至らず。
朕、皇祚を践(ふ)みて未だ幾(いくば)くならず。かつ今なお皇妣の喪に居れり。恆(つね)に平和に眷々たるをもってして、しかもついに戦を宣するのやむを得ざるに至る、朕深くこれを憾(うらみ)とす。
朕は汝有衆の忠實勇武に倚褚し速に平和を克復し、もって帝国の光栄を宣揚せんことを期す。
(大正三年八月二十三日)



践祚朝見の儀に賜りたる勅語

朕、俄(にわか)に大喪に遭い、哀痛極りなし。ただ皇位一日も曠(むなし)くすべからず、国政須臾も廃すべからざるをもって、朕はここに践祚の式を行えり。
顧(おも)うに先帝叡明の資をもって維新の運にあたり、万機の政を親(みずか)らし、内治を振刷し外交を伸張し、大憲を制して祖訓を昭(あきらか)にし、典礼を頒(わかち)て蒼生を撫す。文教ここに敷き武備ここに整い、庶績咸(みな)熙(おこ)り、国威これ揚(あが)る。その盛徳鴻業、万民ともに仰ぎ、列邦ともに視る。寔(まこと)に前古未だかつて有らざるところなり。
朕、今万世一系の帝位を践み、統治の大権を継承す。祖宗の宏護に遵い、憲法の条章により、これが行使を愆(あやま)ることなく、もって先帝の遺業を失墜せざらんことを期す。有司すべからく先帝に尽したるところをもって朕に事(つか)え、臣民また和衷協同して忠誠を致すべし。なんじらよく朕が意を体し、朕が事を奨順せよ。
大正元年七月三十一日)

大正天皇即位式勅語

朕祖宗の遺烈を承(う)け、惟神の宝祚を践み、ここに即位の礼を行い、普くなんじ臣民に誥(つ)ぐ。朕惟(おも)うに、皇祖皇宗国を肇(はじ)め基を建て、列聖統を紹(つ)ぎ裕を垂れ、天壌無窮の神勅によりて万世一系の帝位を伝え、神器を奉して八洲に臨み、皇化を宣(の)べて蒼生を撫す。なんじ臣民、世世相継ぎ忠実公に奉す。義はすなわち君臣にして情はなお父子の如くもって万邦無比の国体を成せり。
皇考維新の盛運を啓(ひら)き、開国の宏謨を定め、祖訓を紹述して不磨の大典を布き、皇図を恢弘して曠古の偉業を樹(た)つ。聖徳四表に光被し、仁沢遐陬(かすう)に霑洽す。
朕、今丕績(ひせき)を続(つ)ぎ、遺範に遵い、内は邦基を固くして永く磐石の安きを図り、外は国交を敦くして共に和平の慶によらんとす。朕が祖宗に負うところ極めて重し。祖宗の神霊照鑑、上(かみ)に在り。朕、夙夜競業、天職を全くせんことを期す。朕はなんじ臣民の忠誠、その分を守り、励精その業に従い、もって皇運を扶翼することを知る。庶幾(こいねがわ)くは心を同じくし力を戮(あわ)せますます国光を顕揚せんことを。なんじ臣民、それよく朕が意を体せよ。
(大正四年十一月十日)


「教育に関する御沙汰」

皇考夙に心を教育のことに労せられ、制を定め令を布き、また勅してその大綱を昭らかにしたまえり。朕、遺緒を紹述してますますその振興を図らんとす。今や人文日進の時にあたり、教育の任にある者、よく朕が意を体し、もって皇考の遺訓を対揚せんことを期せよ。
(大正四年十二月十日)


「学制頒布五十周年に際し下し給える勅語


学制頒布せられてよりここに五十年、文教普く及び、学芸盛んに興り、もって今日あるを致す。これ実に皇考の大猷と朝野の協力とによれり。今この式典を行うは、朕の最も喜ぶところなり。惟(おも)うに、教育は心身兼ね養い、智徳並びに進むを尚(とうと)ぶ。国家の光輝、社会の品位、政治・経済・国防・産業等の発達、一としてその効に待たざるなし。皇考の制を定め学を勧めたまえるはこれが為なり。朕深く前後従事諸員の労績を嘉し、さらによく朕が紹述の意を体して遺訓を遵奉し、常に中外の時勢を察して心を啓発成就に用い、ますます力を教学の振興に尽くして、もって文運の昌明を図らんことを望む。
(大正十一年十月三十日)



「帝都復興に関する詔書

 朕、神聖なる祖宗の洪範を紹ぎ、光輝ある国史の成跡に鑑み、皇考中興の宏謨を継承して、あえて愆(あやま)らざらむことを庶幾し、夙夜兢業として治を図り、幸に祖宗の神佐と国民の協力とにより世界空前の大戦に処しなおよく小康を保つを得たり。
 いずくんぞ図らん、九月一日の激震は事咄嗟に起り、その震動極めて峻烈にして、家屋の潰倒・男女の惨死幾万なるを知らず。あまつさえ火災四方に起りて炎焔天に冲(のぼ)り、京浜その他の市邑一夜にして焦土と化す。この間、交通機関杜絶し、ために流言蜚語盛んに伝わり、人心洶々(きょうきょう)としてますますその惨害を大ならしむ。これを安政当時の震災に較ぶれは、むしろ凄愴なるを想知せしむ。
 朕深く自ら戒慎してやまざるも、惟(おも)うに天災地変は人力をもって予防し難く、ただ速やかに人事を尽して民心を安定するの一途あるのみ。およそ非常の秋(とき)に際しては非常の果断なかるべからず。もしそれ平時の条規に膠柱して活用することを悟らず、緩急その宜(よろしき)を失して前後を誤り、あるいは個人もしくは一会社の利益保障のために多衆災民の安固を脅すか如きあらば、人心動揺して抵止するところを知らず。朕深くこれを憂綃(ゆうてき)し、すでに在朝有司に命じ臨機救済の道を講ぜしめ、まず焦眉の急を拯(すく)いてもって恵撫慈養の実を挙げんと欲す。
 そもそも東京は帝国の首都にして、政治経済の枢軸となり国民文化の源泉となりて、民衆一般の瞻仰するところなり。一朝不慮の災害に罹(かか)り今やその旧形を留めずといえども、依然としてわが国都たる地位を失わず。これをもって其の善後策はひとり旧態を回復するに止まらず、進んで将来の発展を図り、もって巷衢(こうく)の面目を新たにせざるべからず。惟(おも)うにわが忠良なる国民は、義勇奉公、朕と共にその慶に頼(よ)らんことを切望すべし。これを慮りて朕は宰臣に命じ、速やかに特殊の機関を設定して、帝都復興の事を審議調査せしめ、その成案はあるいはこれを至高顧問の府に諮(と)い、あるいはこれを立法の府に謀り、籌画(ちゅうが)経営遺算なきを期せんとす。
在朝有司、よく朕が心を心とし、迅(すみやか)に災民の救護に従事し、厳に流言を禁遏し、民心を安定し、一般国民またよく政府の施設を翼(たす)けて奉公の誠悃(せいこん)を致し、もって興国の基を固むべし。朕、前古無比の天殃に際会して卹民(じゅうみん)の心いよいよ切に、寝食ために安からず。なんじ臣民、それよく朕が意を体せよ。
(大正十二年九月十二日)





孝謙天皇 「孝経を戸毎に備えせしむるの詔」

古は民を治め国を安んずるに必ず孝を以て理(おさめ)たりき。百行の本ここより先なるはなし。よろしく天下をして家ごとに孝経一本を蔵して精勤誦習し、ますます教授を加えしむべし。百姓にして間々孝行人に通じ郷閭欽仰する者あらば、由るところの長官(かみ)をして具(つぶさ)に名を以て薦めしむべし。それ不孝・不恭・不友・不順なる者あらば、よろしく陸奥の国の桃生・出羽の国の小勝に配し、もって風俗を清うしまた辺防をふせぐべし。






「幸せな人生とは、
ほどほどの富と、
豊かな大地
心の平安、
争いのない対等な友、
誰にも支配されず、
病のない健康な体、
素朴な悟り、
悩みのない夜」
(チューダーズの中に出てくるサリー伯の詩)




戦前の日本は、ある意味、「天皇教」とも言うべき擬似宗教が国全体を覆っていたわけで、詔勅などで道徳的にも天皇が具体的に国民に指示を与える国だった。しかし、結局「天皇教」では、あんまり人は救われないのだと思う。魂の救いはそこにはない。
戦後の日本というのは、天皇教が崩壊した後、物質主義とあんまり程度の高い御利益信仰と年中行事の習俗としてのみ、おおむね宗教が存在したのだと思う。中には真摯で清冽な信仰もあったけれど、おおむねそんな感じだったように思う。

神の救済意志を信じて心のままに生きる。
それが信仰のみ。
ということなのだろうか。

神と自分との間に第三者が救済者や救済機関として入ることを拒否する。
神と直接自分が向き合う。
そして、自分の信仰によって救われるのでなく、神の救済意志に頭をたれていく。
それが無教会主義というものなのだろう。



野田政権は特別会計改革を閣議決定していましたし、公務員給与の削減や議員歳費の削減を実現していました。そういう野田政権をフルボッコした人々こそ、自民党復権に手を貸した最大の愚者です。また、社会保障と税の一体改革はセーフティネット再建です。嘘はいけません。

べつに藤井さんだけがそう言っていたわけでなくて、民主党全体の財源の見通しが甘すぎました。暫定税率の減税額は2.5兆円とのことでしたから、それを小さい話という人の神経は正直よくわかりません。




鬼頭鍋三郎 「黒椅子の少女」