地域自治と主権

民主党政府が「地域主権」ということを言っている。
そのやろうとしている内容は良いとして、「主権」の言葉は不適切と思う。

主権(sovereignty)というのは、対外的独立や最高意思決定権について言われる言葉である。
民主党が言いたいのは、外政や国防は中央政府の管轄とし、その他の内政面は地域に主要な権限を持たせるということだろうから、正確に言えば「地域自治」ということだろう。

「地域自治」であるならば、私も諸手を挙げて賛成である。

福沢諭吉も、明治のまだ初期の段階で、「政権」と「治権」を区別して説いた。
福沢は、政権というのは外交や国防などに関わることで、治権というのは地域の内政に関わることであるとする。
そして、治権はなるべく地方に分権して持たせて、各地域が自治することが望ましいと説いた。
民主党がやろうとしていることは、だいぶ遅れて、福沢が言ったようなことをやっとやろうとしているのかもしれない。

古代ギリシャにおいては「イソノミア」ということが言われたらしい。
イソノミアというのは、治者と被治者の一致という意味だそうである。
圧倒的なペルシア帝国の大軍を打ち破って独立を保ち、世界にも稀に見る芸術や科学や文化の花を開かせたギリシャの活力の源泉は、人任せにせずに、自らのことは自ら治めようとする、この「イソノミア」にあったのかもしれない。

現代国家では、残念ながら、すべての分野で「イソノミア」を行うことは無理であろう。
国防や外交については、中央政府が代表して行うことが必要と思われる。
しかしながら、可能な分野においては、なるべく「イソノミア」、治者と被治者の一致、つまり自治の要素を、できる限りはこの社会の中に増やしていくことが、他人任せの隷従や腐敗を防ぐために、最も大事なことと思う。

国政(政権)のことは、とりあえずは委任や信託が必要だとしても、己の住む身近な地域のこと(治権)は、できる限り自治の精神に立脚し、自治を実行するのが、自由人というものであり、公民というものであり、草莽崛起ということではないかと思われる。

個別具体的な執行は、行政や役人に任せるとしても、ある程度一般的な事項に関しては、行政任せではなく、首長や議員からの提案や説明を受けて、一般市民がきちんと考え、同意あるいは拒否していく。
そのような地域社会こそ、現代におけるイソノミアとして、また公共精神の涵養として、重要ではないかと思う。
そうであれば、常日頃から、個別具体的なすべてのことを知ることは無理だし望ましくないとしても、ある程度おおまかなことについては、自分の住んでいる地域のことについて関心を持ち、討議し、調べ、聴く力を持っていることが、すべての人にとって望ましいし、また責任であるとも言えると思う。

こうした地域自治の日ごろからの鍛錬や精神があってこそ、国政についても、代議政体や官僚制を前提としつつも、それらの政策に対して、是は是、非は非と判断できる、批判的理性を持った主体的な公民・草莽がありえるのだと思う。

 草莽というのは、中央政治のことについてはそうした批判的理性や見識を持ち、かつ地域のことにはさらに自治的な要素をもって取り組むことができる、そうした人々のことではなかろうか。