安倍自民党は本当に「保守」なのか

いまいちよくわからないのが、「自衛隊」か「国防軍」がという問題。
仮に集団的自衛権や即応性の問題ならば、自衛隊の名称のままでその能力を高めるように主張すればいいものを、なぜわざわざ二次大戦前のドイツを髣髴とさせる「国防軍」の名称にしようとするのだろう。


わざわざ国防軍の名称を持ち出すのは、よほど二次大戦前のドイツに思い入れがあるか、あるいはその歴史を全く知らずに無関心なのか、そのどちらかなのだろう。
前者にしろ、後者にしろ、国際社会へのインパクトを考えた場合、かなり問題ではないか。


自衛隊は実質的にはかなり強力な軍隊である。
戦後の日本は、それなりに顕教密教を使い分け、現憲法を維持しながら、実質的にはそれなりに強力な自衛策を講じてきた。
わざわざことを荒立てず、現行法規でできることを実質的に積み重ねることをやってきた。

それをどう評価するかという問題があり、おそらく最近の安倍自民党やその支持者は、そんなまどろっこしいことはやっていられないという考えなのだろう。
また、左派も、そのような解釈改憲の積み重ねは憲法の改悪という考えなのだろう。


しかし、イギリスなどの成文憲法を持たない国では、さまざまな現実の積み重ねをこそ憲法規範としている。

オーストラリアなどもそうだ。
憲法の文言にこだわっていたずらに変えようとするより、現実がさほど差支えがなければ、その中でうまく運営や運用を心がけ、微修正の積み重ねで現実に対処するというのが、言葉の本来の意味での「保守」であり、ヒュームやバークが言っていたのはそういうことだろう。


どうも、安倍自民党は、本当の意味の「保守」精神を失い、文言にこだわって過激な改正や改革を急ぎ過ぎているのではないか。


野田総理の方が、言葉の正しい意味での保守の知恵や精神をよく体現しているのではないか。
「中庸」「未来をおもんぱかる力」「分厚い中間層」という野田さんの掲げる理念は、かつての保守の最良の思想であると思う。