アインシュタイン「何故社会主義か」

アインシュタイン「何故社会主義か」
(Montly Review 1949)

(ジョセフ・シュワァルツ『アインシュタイン』(現代書館)より)

「資本の私的所有を前提とする経済体制には、大きな特徴が二つある。
一つは資本が私的に所有されており、資本所有者はいつでもそれを売り払えること、もう一つは、労働契約が自由なことだ。
もちろん、こいった意味での純粋な資本主義社会など存在していない。特に、労働者の長く苦しい政治闘争の結果、ある種の労働者に対する『自由労働契約』の形態がいくぶんなりとも改善されたことは、注目すべきことである。
とは言っても、全体としてみれば、今日の経済は「純粋の」資本主義とさほど違いはない。

 物を生産することは利益のためであって、使うためにではない。
働ける者、働く意志がある者は誰でも仕事に就ける、などといった法律はない。
つねに「大量の失業者」が存在する。
労働者たえず失業を恐れている。
技術の進歩によって労働が軽減されるどころか、むしろ失業者が増えることもしばしばだ。
資本家の利益追求は、資本家間の競争とあいまって、資本の蓄積、利用を不安定なものとし、世の中を不況へと導く。
際限のない競争は労働力を大量に浮き上がらせ、個人の社会意識を低下させる。

 このことこそ、資本主義最大の害悪だ。そして教育全体がこの悪の被害をこうむっている。
子供達は過当競争を吹き込まれ、将来の仕事のために成功のみを追い求めるように仕込まれていく。

 こうした憂うべき問題を一掃する方法は、一つしかない。
 社会主義経済を確立し、教育体系を社会的目標に向けることである。」




(子ども時代を振り返って)


「通俗科学書を読んでいくうち、聖書に書かれている話の大半が真実でないと確信するにいたった。
そこで、徹底して自由な思考に没頭することにし、同時に、ドイツ国家は虚を並べて意図的に若者を欺いている、と考えるようになった。
それは烈しい考え方だった。
わたしが、権力とあらばいかなるものにも疑いを抱くようになったのは、こうした体験による。
それは、特別な社会環境の中に根をおろしている信念への懐疑的な態度であって、決して消えることはなかった。
ただ、のちに、因果関係を見通すのがうまくなり、当初ほどの辛らつさはなくなってしまったが。」