劉寒吉『山河の賦』の中の島村志津摩のセリフ

劉寒吉『山河の賦』(新人物往来社)の中での島村志津摩のセリフ。
(同書172、173頁)


「承知のように、わが藩は六月十七日の開戦以来、連戦連敗し、この屈辱の歴史は昨日のお城自焼にいたって、ついに頂点に達した。わが藩はじまって以来、このような屈辱はなかった。このような悲劇は、かつてなかった。今こそ、われらは、蹶然、この悲劇にこたえねばならん。われらの敗北の因は、一には閣老小笠原壱州にあり、一にはわれら自信のなかにあった。われらはあまりに他藩に依存し過ぎた。われらは、あまりに自分自身の力を知らなんだ。信頼すべきは、わが軍である。信頼すべきは自分自身の力である」

 ひくい巌の上に立ってさけぶ志津摩のこえは、若い兵の胸をうった。志津摩は若い兵に自信を持たせようとしているのである。

「自分の力を信じよ。けっして負けない自信を持て。諸君とても同じ日本人ではないか。しかも、われらは勅をうけた幕命によってたたかうのじゃ。これは一藩の私戦ではない。大義の戦いである。しかし、その力が個々に分散してはいかん。力の分散は、戦争の敗因をつくる。力は結合されなければならん。これは、同志愛の上に立って結ばれる尊い精神である。同志的結合こそ、かならずやわれらに勝利をもたらすであろう。わしは信ずる。諸君の固い結盟と、諸君の逞しい戦闘精神を―」

志津摩のこえは切々として、二百の壮丁の胸をうった。

「勝つも、負けるも、ともに同じ日本人である。このことはかなしい。しかし、われらは大義の上に立とう。大義の道を進もう。いまや、われらの故郷は焼け、われらの住むべき家はない両親も姉妹もとおく去った。われらには信ずべき同志あるのみである。わしは荒涼たる故郷の山河を想う。たのしかった山も、川も、いまは敵兵の蹂躙するところにまかせている。美しい故郷の山河は焦土と化し、われらの夢は、炎上するお城の煙とともに消えてしまった。しかし、希望を持とう。なにもかも失い尽くしたわれらは、いまこそ、小倉武士の真骨頂をあらわして、顧慮するところなく戦うことができる。われらはたたかう。われらは失った故郷の山河を奪還する。いままでの戦は小倉藩自体の力ではなかった。きょうからは、わが軍の全力をあげて必死の戦闘を展開する。これからは全軍が決死隊である。しかし、わが軍の兵力は極めて少ない。したがって、正面攻撃よりも、むしろ、敵の虚を衝く、突風的な遊撃戦術による。勇敢でなければならん。果断でなければならん。一兵がことごとく弾丸とならん。勝利の日まで大切な体じゃ、自愛をいのる。もはや敵の進行も近いことであろう。きょうから陣地の構築をはじめ、各隊長においては同時に兵の調練を怠るまい。軽躁妄動は厳かに戒める。固く軍律をまもり、自重せよ。ほんとうの戦は、これからじゃ。われれは最後の一兵となるまで戦う。われらは祖先の眠る地から敵を撃退することを誓う」

志津摩の訓辞は、あるときは怒涛のように激しく、あるときは慈父のようにやさしく話された。一語一語が力づよく、ひとびとの心に刻みつけられた。

はなし終って、志津摩は前方を眺めた。にぶい燻銀のようにひかる雨雲の下に、ふるさとの平野がけむるようにひろがっていた。