平田篤胤 『霊の真柱』

平田篤胤の『霊の真柱』を読んだ。
これは岩波文庫で、昔出版された頃に本屋で見て、いつか読もうと思いつつ、四半世紀ぐらい経ってやっと読んだ。
面白かった。

内容は、記紀について解釈し、その世界観を平田の観点から明らかにしているもので、特に黄泉と幽冥界のことを重視している。

動物は幽冥界に近く、人間には察知できないことを早めに察知する、ということが書いてある。
とすると、幽冥界というのは、今の言葉でいうと、個々人の意識を超えた無意識の世界につながるもののことを言うようである。

あと、平田が力説していて、そうだったのかーと思ったのは、古事記に出てくる黄泉の国というのは、人が死んで行く場所ではないということである。
平田が言うには、人は死ねば幽冥界に行くのであり、黄泉はまた別の地下の世界のようである。
それで、幽冥界というのは、今のこの現実の世界にほぼ重なって存在しているが、こちら側からは見えず、向こう側からはこちらがよく見える世界だとのこと。
遠くではないそうである。

黄泉の国にいるのがイザナミスサノオで、幽冥界はオオクニヌシが主催しているそうである。

平田の本では、悪しき人が黄泉の国に行くのかどうかは、そのようでもあるし、そうでもないようである、とのことである。よくわからぬようである。おおむね幽冥界に行くと考えれば良いようである。

仏教の世界観で言うと、涅槃か天界かペータやブータの世界か地獄なので、全く重なるわけではないが、おおむね高天原が天界で、ペータやブータが幽冥界で、黄泉が地獄みたいなものなのだろうか。

聖書ではあんまりあの世の話が出てこないのでよくわからないが、天国と現世と陰府と地獄があるようである。このうち、陰府と地獄が同じなのかはよくわからない。
別とすれば、陰府が幽冥界みたいなものなのだろうか。

あと、平田篤胤の言っていることで、表現が面白いと思ったのは、魂は大きくなるということである。
つまり、正しいことをしていると、正しい神々から魂が増し加えられ、魂が大きくなるそうである。
それをミタマノフユと呼んでいる。
面白い発想であり、表現と思う。
私も生きている限り、できる限り魂を大きくしていきたいものである。

あと、平田篤胤の本を読んでいると、アダムとイブや、ノアの洪水や、バベルの塔の話が引っ張ってあって、江戸時代の禁教下においても、けっこういろんなルートで聖書の話を日本人も知っていたんだなぁということにあらためて驚く。
やや極端なことを言えば、老子の発想にもとづいて記紀を再構成して儒教を批判したのが本居宣長で、キリスト教の発想にもとづいて記紀を再構成して仏教を批判したのが平田篤胤とも言えようか。
日本オリジナルというより、実は元ネタは外国にあると思われる。
あと、この本を読んでいたら、アダムとエバを「安達牟」と「延波」と書いてあって面白かった。
漢字にすると、途端になんだか禁制下の文書っぽい味わいが出てくると思う。
平田は、イザナギイザナミの話が西に伝わり、安達牟と延波になったと考えていたようである。
平田は怒りそうだが、年代的には逆もありえるのかと思える。

しっかし、読みながら思うのは、平田篤胤のあの無邪気な日本最高説はなんなんだろうかということである。
平田の場合は博覧強記で、今のネトウヨとは比較にならないぐらい学識もあって聖書や漢籍にも通じていたのに、日本最高と繰り返し主張したがるのは、いかなる理由があったのだろうか。
儒教や仏教とは異なる、価値あるものとしての古来の日本の精神を探究して明らかにしたいという思惑があったのだろうけれど、ともかく無邪気に日本が最高の国だと繰り返し主張するのは、鎖国下で今と状況が違うからとはいえ、なんとも不思議な気はする。
まあ、人間はいろいろな側面があり、良さもあれば?と思うところも誰にでもあるので、あの無邪気な自国最高説を脇におけば、平田はやっぱり面白いし魅力的だとは思う。