泥さんの命日

今日は、泥憲和さんの命日。
もう三年になる。
 
またいつかあの世で会った時に、少しはきちんと報告できる材料をそろえるために、生きている間は泥さんのようにしっかり生きていこうと思う。
 
泥さんは日本国憲法をとても愛していた。
苦労人だったので、憲法のありがたみや理念の良さが、人一倍わかったのだろうと思う。
 
泥さんの本をぱらっとめくったら、以下の言葉が出てきた。
あらためて、そのとおりと思う。
 
「本当に国の根幹に関わることだけを決めてあるのが日本の憲法なのです。だから、そう気楽に変えなくてもよいし、簡単に変えてはならないのです。憲法が現実ばなれしているという理屈ほど憲法をバカにした議論はありません。
 
では、日本国憲法の条項はすべて実現しているのか。国民の基本的人権も、議会主義政治も、憲法の理想からはなはだしくかけ離れているではありませんか。前文冒頭の「日本国民は正当に選挙された国会に於ける代表者を通じて行動し」というのだって怪しいものです。正当な選挙なんでしょうかねえ、いまの選挙は。
 
憲法は現実ばなれしているものなのです。憲法前文にあるではないですか。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」憲法はいまだ実現されていない「崇高な理想と目的」を掲げているのです。だから現時点では現実ばなれしているのが当然なのです。いまは理想だが、将来はそれを現実にしよう、そのために努力することを誓おう、これが憲法の呼びかけなのです。
 
この何が間違っていようか。むしろ憲法をしっかりと擁護し、その指し示すところの高みを目指して努力しようじゃありませんか。憲法は素晴らしい。だからこそ、このすばらしい憲法を擁する日本の独立は大切であり、自衛隊の抑止力が必要とされているのです。」
 
 
そこらの政治家や知識人より、本当の意味で、憲法の理念をよく理解し、生きた言葉で語ることができる人だったし、人格も人柄も練れてすぐれた人だったと思う。
 
それに、他の人は護憲やアンチヘイトで知っていたり惜しむ人が多いと思うのだけれど、私はもちろんそれらもそうだけど、浄土真宗の篤信の御門徒さんで、親鸞聖人や念仏についてとても詳しく、生き生きとそうした言葉を語ってくれた、そういう泥さんが、とてもなつかしい。