雑感メモ 天皇教と一神教について

戦前の日本は、ある意味、「天皇教」とも言うべき擬似宗教が国全体を覆っていたわけで、詔勅などで道徳的にも天皇が具体的に国民に指示を与える国だった。

しかし、結局「天皇教」では、あんまり人は救われないのだと思う。
魂の救いはそこにはない。

戦後の日本というのは、天皇教が崩壊した後、物質主義とあんまり程度の高くない御利益信仰と年中行事の習俗としてのみ、おおむね宗教が存在したのだと思う。
中には真摯で清冽な信仰もあったけれど、おおむねそんな感じだったように思う。

結局、日本にとって本当に魂の糧となる信仰を各自が確立していくのは、これからなのかもしれない。

私自身の感じていることとしては、一神教しか人には究極的な救いはないのではないかと思う。

そのように言うと、一神教至上主義のように見えるかもしれないけれど、必ずしもこれは多文化や各自の伝統を否定するわけではないと思う。

たとえば、吉田松陰西郷隆盛は、儒教を通じて「天」というものを強く意識していたのだと思う。
ただ、儒教の「天」というものは、抽象的で漠然としたもので、広瀬淡窓のように人格的な神として受けとめた思想家もいたけれど、いったいに単なる抽象的なものだったと思う。

たぶん、儒教的な「天」や、浄土教における阿弥陀一仏のように、ある意味一神教的な精神の萌芽が、日本には開国の前から存在していたのだと思う。

そのような、もともとあった一神教につながるような流れの上に、内村鑑三のような存在は位置づけられると思う。
そう考えれば、一神教は外発的なものでなく、内発的なものの完成や発展と言えると思う。


とはいえ、一神教の信仰というのも、なかなか一口でまとめられない

神の救済意志を信じて心のままに生きる。
それが信仰のみ。
ということなのだろうか。

神と自分との間に第三者が救済者や救済機関として入ることを拒否する。
神と直接自分が向き合う。
そして、自分の信仰によって救われるのでなく、神の救済意志に頭をたれていく。
それが無教会主義というものなのだろう。

自分自身が聖書を読んで神と向かい合うこと。
そのために、同じく聖書を学ぶ仲間の集いを持つこと。
これはどちらも大切なことだけれど、どちらが欠けてもなかなかうまくいかないもののように思う。
もちろん、なかなか後者が持ちえない場合は、前者だけでいくしかないのだろうけれど。