三浦綾子 「塩狩峠」

塩狩峠 (新潮文庫)

塩狩峠 (新潮文庫)

塩狩峠

塩狩峠

塩狩峠

塩狩峠


三浦綾子の『塩狩峠』は、高校一年の時に課題図書で感想文を書かなくてはいけなくて、クラス全員で読まされた。
今回、とてつもなくひさしぶりに読んだ。
二十年ぶりぐらいである。
ほとんど忘れていたので、とても新鮮に感動した。

前に読んだ時は、ラストの印象ばかりが強かったのだけれど、読み直すと、主人公の心の成長やキリスト教への反発とその乗り越えの過程がとても興味深かった。
とても丹念に、主人公の信仰への道のりや人間としての悩みや成長が描いてあって、この年になってみると、そのいくばくかは身にしみてわかるようになった気がする。

「神の前に義人は一人だになし」

という言葉も、若い頃よりわかるようになった気がする。

「神の愛を知りながら、ともすれば不信仰におちいるわれわれキリスト教徒の姿、というより、まあわたし自身の姿でしょうかね。」

という作中に登場する作家が主人公に言うセリフも、とても考えさせられ、深く感じ入るものがあった。

「お互いにこのくり返しのきかない一生を、自分の生命を燃やして生きて行こう。そしてイエス・キリストのみ言葉を掲げて、その光を反射する者となろう。安逸を貪るな。己れに勝て。必要とあらば、いつでも神のために死ねる人間であれ」(新潮文庫347頁)

という主人公のセリフも、少しも覚えていなかったのだけれど、今回読んでいて、とても新鮮に感動し、胸に残った。

良い作品というのは、若い時に読んで、その時もたぶん感動するんだろうけれど、だいぶ時が経ってから読み直すと、またさらに深い味わいや感慨があるのかもしれない。
この作品は、まさにそうした作品なのだと思う。
ややオーバーに言えば、日本における聖書外典の一つに数えて良い作品と思う。

なかなかこの主人公のように清冽な生き方はできない気がするけれど、自分なりに少しはあやかりたいと読んでいてあらためて思った。
これぐらい真摯に、深く、聖書を読みたいものである。