少年よ大志を抱け

クラークの言葉である「少年よ、大志を抱け」は、知らない者のない有名な言葉である。


"Boys, be ambitious."


日本人ならば誰もが聴いたことがある。


私も高校の修学旅行が北海道で、羊ヶ丘のクラークの銅像の前で同じポーズをとって写真を撮ったりしているが、当時もこの言葉はよく知っていたつもりだった。


しかし、この言葉は、実は末尾の言葉が省略されている。


本当は、


"Boys, be ambitious like this old man."



つまり、「少年よ、この年寄りのように大志を抱け」というのが本来の文章だそうである。


恥ずかしながら、高校時代当時はもちろん、最近までそのことを知らなかった。


「この年寄り」は、もちろんクラーク自身のことである。


思うに、この末尾の文章があるのを知っているのと知らないのでは、だいぶこの文章の迫力も意味も違ってくると思う。


クラークは南北戦争の時の北軍の勇士で、軍隊でもっと出世できたのを蹴って、教育に身を投じ、日本にやってきたそうである。
そういう自分自身の生き方に、名利を求めずにキリストの信仰にのみ生きてきたという裏打ちがあって、はじめてこう言い切れたのだろう。


どうも、この末尾の部分がないと、自分の生き方をおろそかにしながら、年寄りが若者にのみ期待する言葉のようになってしまう危険がある気がする。


また、若者の側も、具体的な模範もなしに、ただ適当に大志や野望を持てと言われて、的外れな方向に行ってしまう危険のつきまとう言葉だと思う。


クラークや、あるいはこの言葉を先輩から伝え聞いて、実際に身をもって実践した内村鑑三新渡戸稲造らを模範として、そして自分もまた若者や子どもたちにこのように言えるように生きてこそ、この言葉には意味があるし、また本来はそういう言葉なのだと思う。


大志という言葉は、どうも無縁になりがちなのが現代日本で、昨今の世相というものなのだろうけれど、そうであればこそ、明治の頃の日本のこの理想をあらわすこの言葉は、何かしらまぶしいような気がする。