ヘッセ 「デミアン」

デミアン (新潮文庫)

デミアン (新潮文庫)

ヘッセの『デミアン』は、名前だけは随分昔から聞いたことがあった。
しかし、なかなか読むことなく、やっと今読むことができた。


ちょっとデミアンとはタイプは違うのだけれど、私が大学の頃、先輩にデミアンみたいな人がいた。
ソクラテスを研究している院生で、飄々としていて面白い人で、まさにシンクレールに対するデミアンのように、その頃の私に大きな影響を与えた人だった。
たしか、その先輩の家か、あるいは別の友人の家にその先輩たちと集まっていた時だったと思う。
その先輩だったか、あるいは別の友人だったかが、ヘッセの『デミアン』について話していたのを聞いて、いつか読もうと思った記憶がある。


しかし、そう思いつつも、歳月は流れ、半年ぐらい前、別の友人とスカイプで話していて、彼はヘッセの作品で『デミアン』を、私は『シッダールタ』を以前読んでとても感銘を受けたことを述べ、お互いその相手の挙げる作品は読んだことがなかったので、お互いに読もうと約束することがあった。


というのに、はや半年が過ぎ、つい先日、さらに別の方からもヘッセの『デミアン』について強く影響を受けたということを聞いて、これは読もうと思い、一念発起してやっと読んだ。


読んでの感想は、想像していたよりもずっとすごい作品だった。


作品の前半の方は、主人公の、ちょっと情けない、やや繊細過ぎて弱すぎる思い出が描かれ、正直、ちょっと考え過ぎじゃなかろうか、同じ少年時代を描いた作品でもトムソーヤの方がユーモラスで面白いなぁ、などと思いつつ読んだ。


しかし、半ばぐらいからぐっと面白くなり、非常に、なんと言えばいいのだろう。言葉にすると陳腐になってしまうが、自己の内面に忠実に生きることや、運命とは何かということについて、稀に見る筆致でぐいぐいと魂の道に案内されるような面白さがあった。


そして、ラストの方に至るまでは思ってもみなかったのだけれど、主人公のシンクレールもデミアンも、第一次大戦が起こって徴兵されることになる。


あまり多くは戦場については描かれず、作品のほとんどは、それ以前の日々における、主人公たちの内面や自分自身を確立しようとする精神的な探究の物語なのだけれど、逆に言うと、これほど真摯に、それぞれの素晴らしい思いや理想を抱き、あたためていた若者たちが、あの一次大戦の毒ガスと機関銃と泥濘の残酷極まる戦場で次々に命を落としたかと思うと、あらためて胸の詰まる思いがした。


そして、この作品ではあまりはっきり書かれないのだけれど、どうも、デミアンエヴァ夫人は、私にはユダヤ人、ないし改宗ユダヤ人のように思えてならない。
ヘッセもはっきりそうだとは書かないが、しばしばそう推測させるように書いている。
だとすれば、これほどの悲惨な一次大戦が終わった後も、彼が夢見た何か新しい時代ではなく、やって来たのはナチスだったことを考えると、なんとも暗澹となるような思いがした。
仮にデミアンエヴァ夫人たちが一次大戦を生き残れたとして、しばらく後にやってくるナチの時代にはどうなったことだろう。
そして、シンクレールはどう生きたのだろう、と。


だが、作品の最後ではっきり描かれているように、自分自身の内面をしっかり確立し、そこにどれだけ離れていようと、デミアンの声を、そして本当の自分自身の声を聞き、心の中で対話できるようになったシンクレールは、おそらくはナチスに騙されるようなことはなく、その後に来る狂気の時代にも断固として自分の道を守り貫き、世の中と闘うことができたのではないかと思う。


単なる感傷的な純文学だろう、ぐらいに思って読み始めたら、とんでもなくて、人生の書、魂の書だった。
『シッダールタ』とともに、また時折、読み返したいと思う。