エリ・ヴィーゼル 「夜」

夜 [新版]

夜 [新版]


著者の実際の体験を元にした本。
当時十五歳だった主人公は、1944年、ユダヤ人だったためにナチスによって強制収容所に入れられる。
母や姉たちは入口のところで別れたきりそれっきりとなった。
父とは、言語を絶する苦しみをともに耐えながら、なんとか生き延び続けるが、ドイツが負けて収容所が解放される直前、父は死んでいく。


ホロコーストに関する本は、フランクルの『夜と霧』など、他の本も読んだことがあったし、いくつかの映画も見たことがあったが、この本は、あらためて形容できない深い呻きや傷について考えざるを得なかった。
あまりにも重い出来事であるが、それゆえに、忘れないためにも、この本は多くの人が読むべきだと思った。


それにしても、これほどのことがありながら、なお「神」はいると考えることができるのだろうか。
もちろん、論理的にはいろんなことが言えるのだろうけれど、深く考え込まざるを得ない。
この本の中でも、ナチスがやって来る前は信仰深かった主人公は、大きくそのことに懐疑を持たざるを得なかったことと、多くの大人たちが信仰を失い、心にひびが入って、間もなく力尽きて死んでいった様子が描かれている。
一方で、単純な宗教や信仰を超えた、何か形容できない、心に強く残る、その時の人の感謝の表情や、勇気についても描かれていて、著者の信仰や神への態度は、決して単純ではないが、何か通常の宗教とは違う、別の思索や体験に導かれているようである。
そのことをよく理解するためにも、この本は、三部作のうちの最初の第一部だそうなので、第二部の『夜明け』や第三部の『昼』も読んでみたいと思った。


つい最近、日本の政治家の発言が、諸外国から、特にユダヤ人団体から強く抗議されることがあった。
その政治家本人はそのようなつもりはなかったと釈明し、すぐに発言を撤回したが、たぶん、問題の根底にあるのは、どの程度深く歴史を受けとめているかということなのかもしれない。
もし、戦間期や第二次大戦の頃の歴史、特にユダヤ人の受難について深い認識を持っていれば、決して口から出てこない言葉だったかもしれない。
私たちが過去に対してなすことができることは、せめても忘れず、想起し、その出来事を無駄にしないことであれば、浅く生きるのではなく、深く生きるためにも、『夜と霧』ともども、この『夜』も、今後とも読み継がれるべき本だと思う。