韓国の時代劇は面白い作品が多いけれど、その中でも特に面白かったのは『一枝梅』と『推奴』という作品だった。
どちらも、時代劇とはいえ、とても速いテンポの、斬新なつくりになっていた。
基本的にはほとんどフィクションなのだろうけれど、どちらも時代背景として、李王朝の十六代国王の仁祖の時代だった。
両作品とも、仁祖は最悪と言っていいぐらい悪しき国王として描かれる。
仁祖は史実でも、ろくでもない国王だったようだ。
別に暴君というわけではないが、猜疑心が強く、陰湿で悪辣な王だったようだ。
そのくせ、生き残りの術にはやたらとたけていたようである。
仁祖は、伯父に当たる光海君をクーデターで廃して王になった。
しかし、その後、外交政策で失敗し、清の大軍に二回攻撃されて屈服し、国土の多くが戦場になり、多くの国民が捕虜として連れ去られ、自身も清の将軍に土下座させられるという屈辱を味わう。
清に人質となった自らの世継ぎの昭顕世子は、極めて英明な人物で、清の覚えもめでたく、かつ清の宮廷でイエズス会の宣教師らとも交流し西洋の科学への理解もあったが、清や西洋を憎む仁祖は昭顕世子が帰国すると毒殺したという。
李王朝は本当にどうしようもなくて、骨肉相食む歴史ばかりだけれど、正統な王に対してクーデターを起し、かつ自らの息子を殺し、国土を外国に蹂躙される、という三つとも兼ね備えているのは(ひとつずつならば結構他にも李王朝の王にはいるのだけれど)、おそらく仁祖だけだろう。
だが、よほど狡猾だったのか、自らは他によって廃位されることもなく、うまく生き残り、しかも格別功績のあった国王にだけ贈られる諡号である「祖」の名称がついている。
李王朝の歴代の王の中で「祖」がつくのは、大体かなりでたらめな気がして、格別悪い王についている気もするので、あんまり意味はないのかもしれないけれど、それだけ王朝の内部では重きを占めたということだろう。
仁祖の叔父で先代の王だった光海君は本当は極めて賢明な人物で、当時急速に台頭しつつあった女真族の後金(のちの清)に対して柔軟な対応をし、明と距離をとって後金とうまくやっていこうとした。
それが頭の固い家臣たちの反発にあい、仁祖自身もその反対勢力に担がれてクーデターを起こした。
仁祖の代になると、自らの実力も知らず、清に自ら喧嘩を打って、それで国土が蹂躙される羽目になった。
今の韓国の歴史での仁祖の評価はどうなのだろう。
やはり、ろくでもない人物という評価があるから、ドラマでは悪役として描かれるのだろうか。
日本の歴史は、大体において統治者が理性的で、周囲から弱腰だとか売国奴だとか罵られながらも、おおむね、井伊直弼やその他の幕閣も、明治政府も、昭和の戦後の政権も、むやみに自らの実力も知らずに大国に刃向って国を破滅させるということはしなかった。
仁祖のような指導者はあまりいなかったということだろう。
ただ、指導者ではないし、極めて少数派とはいえ、昨今は、ツイッターなど見ていても、やたらと売国奴という言葉を連呼し、二言目には口汚く菅さんや野田さんをののしる人々がいる。
ああいう人々がまかりまちがって天下をとると、仁祖のようになるんじゃないかと思われる。
空疎な排外主義や現実を見ない空理空論ほど、国家社会にとって害をなすものはない。
外交や安全保障というのは、冷徹な実力の論理が支配する世界であり、そのことを忘れて小中華思想に走っても、自らが痛い目にあうだけである。
このようなことを言うと、国士さんたちからは随分憤慨されそうだが、自前の軍事力をあまり持たず、周囲を大国に囲まれ、硬直した官僚制と長期の停滞に入り込んで、やたらと党派対立が激しく安定した政権を築けないという点で、今の日本は李王朝と極めて似た要素が多いと思う。
できればその轍を踏まない方がいいと思うのだけれど、しかし、人間の業のようなもので、おそらくは仁祖自身も心ならずもあのような道を辿らざるを得なかったように、日本も場合によっては、大国に翻弄されながら停滞の道を歩まざるを得ないのだろうか。
明と後金の間で苦慮した、あるいはもっとのちには清と日本との間で苦慮した李王朝の立場は、若干、アメリカと中国の間で苦慮する日本の今と似ているのかもしれない。
光海君が当時は大変不評で、そのためにクーデターを起こされて引きずりおろされたが、ずっと後世にはかなり見直されたように、ひょっとしたら、菅さんや野田さんも、後世には高い評価を受けるかもしれない。
次にできる政権が、自民党が中心のものであれ、小沢さんがなんらかの形で大きく関わるものであれ、いずれにしろ、夜郎自大の仁祖のような政権にならなければいいけどなぁと思う。