「宝経」(Ratana sutta)を自分でパーリ語原文から翻訳してみた。
本当、すばらしいお経と思う。
「宝経 新訳」
この地と空中に集まっている存在、全ての存在は、善い心でありなさい。
注意して、今話されることを聞きなさい。
あらゆる存在は耳を傾け、この(話される内容の)ゆえに、人に生れたものたちに慈悲をなしなさい。
このゆえに、昼と夜にお供えものを運んでくる人間を守ることにおいて不放逸でありなさい。
この世や他の世、天界におけるいかなるすぐれた富も、如来に等しいものはありません。
この仏(ブッダ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
お釈迦様が達成した瞑想は、煩悩を滅し、愛執を離れ、不死である、すぐれたもので、いかなるものも等しい存在はありません。
この法(ダンマ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
この上なくすぐれた仏陀が清らかだと称賛したサマーディ瞑想は、「間を置かないもの」と言われています。
このサマーディ瞑想に等しいものは見いだされません。
この法(ダンマ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
善き人々に褒められる八輩、つまり四双(四向四果)の人々は、スガタ(善逝、目的をよく達成した人)の弟子であり、供養を受けるにふさわしく、それらの人々に施せば大いなる結果を生じます。
この僧(サンガ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
ゴータマの教えを、しっかりとした心でよく努力し、欲愛を離れ、実践した人々は、不死の境地に入ることを得、一銭もかからずに涅槃(全き平安)を楽しみます。
この僧(サンガ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
地面に根差した大黒柱は、四方の風によってびくともしません。
すばらしい真理(四聖諦)を確かに知った人は、ちょうどそのようなものだと私は言います。
この僧(サンガ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
甚だ深い智慧を持った人によって善く説かれた、すばらしい真理(四聖諦)を、明らかに理解した人は、どんなに不放逸ではなくなったとしても、八回生まれ変わることはありません。
この僧(サンガ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
(四聖諦を)見るとともに、有身見(自我があるとい邪見)、疑(真理がよくわからないこと)、あらゆる種類の戒禁取(誤った儀式や戒への執着)という、三つのものを断つことが達成されます。
四つの悪いところ(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅)から解放され、六つの重い罪(五逆罪と誹謗正法)を行うことが不可能になります。
この僧(サンガ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
(悟りへの)道を見た人は、身体・言葉・心において、何であれ悪い行為をなすことは不可能となり、(人に)隠すようなことは何もできないと言われます。
この僧(サンガ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
夏の初めに花咲く森の梢のように、ちょうどそのように、涅槃というこの上ない利益へと導く妙なる教え(ダンマ)が教えられました。
この仏(ブッダ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
妙なる、妙なるものを知り、妙なるものを与え、妙なるものをもたらす方が、
この上なく妙なる教え(ダンマ)を教えられました。
この仏(ブッダ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
過去は滅せられ、新しく生じるものはありません。
心は次の生まれ変わりへの執着から離れ、
欲は起らず、(存在の)種子は滅せられ、
智慧ある人は、灯火が消えるように涅槃に入ります。
この僧(サンガ)こそすぐれた宝です。
この真実によって、安穏でありますように。
この地と空中に集まっている存在(である我々)は、
神々と人間に尊敬される如来に、
仏(ブッダ)に帰命します。
安穏でありますように。
この地と空中に集まっている存在(である我々)は、
神々と人間に尊敬される如来に、
法(ダンマ)に帰命します。
安穏でありますように。
この地と空中に集まっている存在(である我々)は、
神々と人間に尊敬される如来に、
僧(サンガ)に帰命します。
安穏でありますように。