浄土真宗における”お任せする”とは

今日は、K先生の観無量寿経についての講義があったので聴きに行った。


休憩時間に、この頃自分で考えてもよくわからないことがあったので、K先生に質問してみた。


私の質問というのは、


浄土真宗ではよく“お任せする”ということが言われますが、この“お任せする”というのは後生についてのことに関してでしょうか、それとも今生と後生の両方に関してでしょうか?」


ということだった。


それに対して、K先生は、


「“お任せする”のは往生についてのことです。
この今生きている間の人生のことについては、往生を阿弥陀如来にお任せすることができるほどに御本願に出遇ったのであれば、逆に自分の心の好き勝手に任せるのではなく、仏様が自分を見ている、仏様が私に願っている、そのことに気付いて生きていく生き方が開かれていきます。
こういう善いことをしたらこういう善い結果がある、あるいはこういう悪いことをしたらこういう悪い結果がある、ということを仏様は教えてくださっていますから、そうした仏様の教えを仰いで、こうしなければならぬとか、こうしなさいという命令ではないけれども、できうる限り善いことを行い、悪を慎み、仏様の心にかなった生き方に努めるのが御信心いただいた者の生き方ということです。
往生については付け足しも減らしもない、私の力ではない、お任せすることで、全分他力とも言いますが、いま生きている人生に関しては、何もせずにぼーっと自分の心の好き勝手にするのが他力に出遇った者の生き方ではなく、むしろ諸々の妙好人の生き方を見ても、
常に如来を意識した生き方になる、ということが大切なことで、それが浄土真宗のみ教えです。」


ということを、もっとわかりやすく答えてくださった。


なるほど〜っと思った。


やっぱり、あれこれ自分で考えるだけよりかは、質問するのが一番いいのかもしれない。


如来を意識する生き方。
それこそが、往生を如来にお任せした者の生き方。


だいぶ頭がクリアリイになった気がする。


ありがたい一日だった。