現代語私訳 善導大師 「般舟讃」(念仏讃歌) 第十六節
娑婆世界でのはかりしれない長い間の輪廻の苦難を免れることができることは、
(浄土への往生を願います)
良き師である釈迦如来の御恩を蒙ればこそです、
(はかりしれない喜びよ)
釈尊はさまざまに考え抜き、巧みな方便によって、
(浄土への往生を願います)
阿弥陀如来の広大な御本願の門の中に導き入れてくださったのです、
(はかりしれない喜びよ)
あらゆる善業は回向すれば往生するために役に立つものではありますが、
(浄土への往生を願います)
専ら南無阿弥陀仏の名号を念仏することに及ぶものはありません、
(はかりしれない喜びよ)
人がもし仏を念じるならば、仏もまたその人に思いをかけてくださり、
(はかりしれない喜びよ)
凡夫と如来とがお互いに知り合い、それぞれの境地がお互いに照らし合います、
(浄土への往生を願います)
これがつまり、生きとし生けるものに加えられる阿弥陀如来のすぐれた働きのご縁(衆生増上縁)です、
(はかりしれない喜びよ)
他の人の言葉を信じて受け入れてはなりません、
(浄土への往生を願います)
「ただ心を清らかにするならば、すべてはみな清らかなものだ」などということを、
(はかりしれない喜びよ)
もしその程度のことでどこもかしこも同じくさまざまな仏の国であるというならば、
(浄土への往生を願います)
何によって迷いの六道輪廻を同じく繰り返してきたのでしょうか、
(はかりしれない喜びよ)