- 作者: 御厨貴,中村隆英
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2005/03/04
- メディア: 単行本
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宮澤さんの口から語られる日本の歴史は、なかなか興味深く、面白かった。
戦前の少年・青年時代の話も、あの時代のひとつの証言として興味深かった。
宮澤さんの口から語られる戦後史も、とても臨場感があり、面白かった。
特に興味深いのは、宮沢さんの回想録から感じられる、宮澤さんの精神の型である。
冷静と言えばいいのだろうか、万事にとても淡々としている。
官僚の中枢から政界の中枢をずっと生き続けた生粋のエリートというのは、案外とこのように、万事に淡々としたものなのかもしれない。
中でも、驚かされたのが、玉音放送の時の感想。
ただ「今夜は電気をつけることができる」と思っただけで、他には特に何も感慨はなかったそうである。
もともとの性格なのかもしれないが、その平静さはすごい。
ちなみに、宮沢さんは、中学・高校の時に、ミルの自由論を原書で何度も読んでいたそうである。
昔のエスタブリッシュメントは違うと思った。
今の日本だと、そもそも、大学生でもどのくらいそうした人はいるのか、いささかこころもとない。
池田内閣の時の「寛容と忍耐」というスローガンの「寛容」も、宮沢さんがミルの自由論からとって提案したものだったそうだ。
「寛容と忍耐」も「所得倍増」も、その時代にうまくマッチして、国民の心をつかんだらしい。
今の世も、適切なスローガンや目標や理念が大事なのかもしれない。
宮澤さんの回想から浮かび上がる池田勇人の姿は、なんというか、とても面白く、ある種の魅力があって、きっと池田さんも宮澤さんも、一生懸命、あの時代に汗をかいて仕事してたんだなあということを回顧録を通じてもひしひしと感じることができた。
宮澤さんは池田さんの側近中の側近で、池田さんを通じて、非常に早い段階から、吉田内閣の時から外交の非常に重要な現場に居合わせていたわけで、その回想は非常に面白かった。
特に、あらためて、「えっ」と思うのは、サンフランシスコ講和会議の時に同時に調印された安保条約については、詳しい内容は調印までほとんど誰も知らず、吉田茂がもっぱら独自の判断でひとりで進めたことだったそうである。
片面講和の是非は別にして、あれほど日本の運命を決定する条約を、吉田茂がほとんど国民にも閣僚にも具体的な内容を知らせずに話を進めたというのは、あらためて驚かされる。
そうでなければまとまらない部分もあの時代はあったのかもしれないが、いろいろと積み残した問題は確かに今に至るまであるのかもしれない。
あと、宮澤さんの目から見た場合は、アメリカも、そして追放から解除された鳩山一郎や岸信介や重光葵らも、もっと大きな規模の再軍備を考え、目指していたのを、吉田茂が一人で踏ん張って軽武装路線を死守したらしい。
今から見れば、それはそれで、またいろんな考えがあるのだろうが、あの時代には、吉田路線によって、軽武装と経済復興・経済成長を優先したことが、日本にとっては非常に良い選択だったのかもしれない。
佐藤内閣の時の繊維交渉の話や、その後のプラザ合意による急激な円高や、バブル、PKO法案をめぐる回想なども興味深かった。
プラザ合意の後、宮澤さんは、急激な円高の対策にかなり苦しんだらしい。
ある意味、今と状況が少し似ているかもしれない。
しかし、実際のところ、ほとんど円高に対しては打つ手がなかったらしい。
いろいろ介入しても、焼け石に水だったそうだ。
むしろ、問題は、円高そのものより、そのあとのバブルが問題だったそうである。
今後の日本を考える時に、若干参考になる話かもしれない。
宮澤さんほどの人でも、プラザ合意による円高と、バブルに対しては、打つ手が今になってみても何があったのかよくわからない、何もできなかったと述べているのは、当局者の回想として、ある意味重いし、いろいろ考えさせられることである。
回顧録の最後の方で、宮澤さんは、六十年安保と1985年のプラザ合意の二つが戦後日本のターニングポイントだと述べていた。
前者はよく言われることだが、後者を挙げているのは興味深かった。
プラザ合意以後、為替や雇用形態が大きく変わったと宮沢さんは指摘している。
今に至る変化は、確かにあの時始まったのかもしれない。
また、宮沢さんは、今後の日本の課題として、「軍事大国にならないこと」と「経済援助大国になること」の二つを主張していた。
この二つは、たしかにかつての日本の選んできた道だったが、今は必ずしも自覚的にそう選び取られているわけでもなく、かつおろそかになりつつあることかもしれない。
もちろん、宮沢さんが代表するような、戦後日本のありかたに異論や批判もあるだろう。しかし、回想録を読んでると、やっぱりこの人はめちゃくちゃ頭がいいし、穏健で醒めた人だなあと感じる。
そうした精神は、やはり学ぶべきところもある気がする。
歴史のひとつの証言として、非常に面白い本だった。
ただ、もちろん、この本には書かれていないことも多いのだろうけれど、宮澤さんは吉田・池田のもとで働いている時には非常に優秀で、ある種の輝きを放った人物だったかもしれないが、どうも吉田路線や40年体制とは別の枠組みを考えなければいけない時に、それができなかった人物だったような気がする。
それは当たり前の話で、宮澤さん自身が吉田路線を具現したような人物なので、吉田・池田・宮澤が具現した、戦後の日本のありかたは、良かれ悪しかれ、もしそれとは違う道や理念を掲げるならば、その流れとは別の人が現れる必要があったのだろう。
ただ、過去の道が行き詰ったり、少し変える必要があるとして、辿ってきた道の中の、良い部分はうまく生かしたり記憶し、そして何がうまくいかなかった、どこに問題があったのかを知るためにも、過去のことをよく知る必要はあるのだろうと思う。