サイード 「知識人とは何か」

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

久しぶりに読みなおしてみたら、あらためてとても素晴らしかった。

しばしば、心震える思いがした。

なかなか難しいのだろうけれど、このような精神的な構えを持って生きたい。

マチュアアウトサイダー、自由、代弁。

繰り返し、また時折読みたいものだ。

「知識人にはどんな場合にも、ふたつの選択しかない。
すなわち、弱者の側、満足に代弁=表象(レプリゼント)されていない側、忘れ去られたり黙殺された側につくか、あるいは、大きな権力をもつ側につくか。」
(68頁)

「現代の知識人は、アマチュアたるべきである。
マチュアというのは、社会のなかで思考し憂慮する人間のことである。」
(136頁)

「今日誰もが、万人の平等と調和を語るリベラルな言語を発している。
となると、知識人にとっての問題は、平等とか平和といった考えかたをいかにして現実の状況と関連付けるかということになる。」
(152頁)

「知識人とは、きわめて偏った権力にこびへつらうことで堕落した専門家として終わるべきではなく、権力に対して真実を語ることができるような、べつの選択肢を念頭におき、もっと原則を尊重するような立場にたつ、まさに知識人たるべきではないか」
(156頁)

「知識人の思考習慣のなかでもっとも非難すべきは、見ざる聞かざる的な態度に逃げこむことである。
たしかに、いかに風あたりが強くても、断固として筋をとおす立場というのは、それが正しいとわかっていても、なかなか真似のできないことであり、逃げたい気持ちはわかる。」(160頁)

「いっぽうの側を善であり、もういっぽうの側を悪と決めつけるような分析は、真の知的分析においてはつつしむべきなのである。」
(189頁)


「だが、信念なり判断は、仕事によって、また他者との ―たとえば他の知識人たちとの、草の根運動との、継続する歴史との、一連の現実の生活との― 連帯意識によってはぐくまれるものなのだ。」(191頁)