Nスペ「証言ドキュメント 永田町 権力の漂流」を見て

昨夜、NHKスペシャルで「証言ドキュメント 永田町 権力の漂流」という番組があっていた。
それを見ながらいろんなことを考えさせられた。


今朝、その番組についてのツイッターの感想を検索してみてみたら、なんと小沢さんに共感したり評価賛美し、菅さんを叩きまくっている人の意見が多数である。


小沢さんはあのとおり、自信満々で強い口調でものごとを言うので、きちんと事実関係や物事を自分の頭で考えることができない人は、共感させられたり、引っ張られたりするのかもしれない。


まず、どう考えても、疑問な点を以下に挙げたい。


まず、2010年の六月の参院選民主党が「惨敗」したことをもって、小沢さんたちは菅降ろしに走るようになったことが番組では描かれていた。


しかし、2010年の参院選、よく考えれば、得票数は民主党が一番多かった。
選挙区でも、比例区でも、得票数は民主党が一番多かった。


ただ、一票の格差があるため、選挙区で自民党議席数が増えた。


しかし、制度的なことを言えば、改選前議席と合わせて民主が第一党。
民意(得票数)で言えば民主が一番だった。


そのことを考えれば、民主党内部で菅さんを引きずり下ろそうとした人々は、基本的に道理がなかったと思われる。


そもそも、自分の党の代表をきちんと支えようとせず、すぐに引きずりおろそうとする一部の民主党の人々の体質やメンタリティは、政党政治の精神として非常に疑問だ。


だが、よくきちんと得票数を検討しない人は、小沢さんや小沢派の人々が強くそう言うと、そうした意見に引っ張られるのだろう。
得票数第一の選挙結果を無視して自分の党の正統な手続きを経て選出された代表の引きずりおろしに走ることこそ、民主主義に反した行為はない。


しかも、番組でははしょられていたが、その年の九月に行われた代表選で、正々堂々戦って菅さんが代表に選出され、小沢さんは敗れている。
仮に参院選の結果や政策路線で不満があったとして、九月の代表選で決まった以上は、当面はきちんと自分の党の代表を支えようとするのが政党政治の筋であるのに、小沢派は終始一貫、党内のごたごたを引き起し、権力闘争に血道をあげていた。


さらに、消費税増税に反対する民主党内部の意見も、いまいちよくわからない。
小泉・竹中流社会保障を圧縮する代わりに消費税増税をしないというならば、論理の筋としてはまだわかる。
しかし、小沢・鳩山派は社会保障を圧縮することを主張しているわけでもない。
むしろ、社会保障の拡大の路線のようである。
そのことの是非は別にして、社会保障を圧縮もせず、かつ消費税増税もしないならば、単なる国債の乱発しか道はない。
ギリシャ危機を見ればその道は無理とわかるはずだ。


今の日本においては、小泉・竹中路線のように社会保障を圧縮して消費税増税を回避するか、あるいは菅・与謝野路線のように社会保障をきちんと維持するために消費税増税を行おうとするかしか、財政として成り立つ道はない。
小沢・鳩山派は、単なる国債乱発しか要するにない、非常に無責任なことを言っているわけだが、負担が嫌で給付だけ欲しいという国民は、そうした無責任な道をこそ支持し、賛美するのだろうか。


番組では、2011年六月の菅首相に対する不信任決議をめぐる騒動も取材してあった。
その中で、自民党の森さんは、小沢さんが、次の首相は谷垣さんでもいいし、菅さん以外ならば誰でもいいと、自民党に菅降ろしへの協力を要請してきたことを述べていた。


菅さん以外ならば誰でも良いとは、単なる私怨ではなかろうか。
盲目的な権力闘争が自己目的ならば、「壊し屋」と言われても仕方あるまい。


そもそも、2009年の衆院選や2010年の参院選で、民主党に投票した人が両方とも一番多かったわけだけど、その多数の民意を、これほど愚弄するものはない。
有権者の投票行動に対する背信以外の何ものでもない。
菅以外ならば誰でも良い、谷垣さんでも良い、といった小沢さんのこの言葉を支持する小沢派とは、いったい何なのだろうか。


民主党の支持率が下がったことの何よりの原因は、民主党内部のごたごた・菅降ろしに、国民がうんざりしたことだと思う。
欧米だったら危機の時はリーダーをきちんと立てるし、まとまるものだ。
イギリスでも挙国一致内閣などが非常時にはできた。
震災後に菅降ろしに走った民主党内部の不平不満派ほど、無責任で権力闘争しか考えていない人々もいまい。


この番組の、一番ラストの方では、鳩山さんが、毎年首相が変わることが国力を衰えさせている、と言っていた。
御自身こそがその原因をつくっているのに、いったいどの口でそんなことが言えるのか、本当に不思議で仕方ない。


今にして思えば、まず、2010年の参院選敗北の時点で菅さんが降ろされてれば、脱原発はありえず、あるいは三千万人移住の最悪事態になっていたかもしれないと言えると思う。
六月時点での退陣でも、再エネ法は実現せず、首相による脱原発宣言もなく、その他のそれ以前の菅さんの政策も骨抜きになっていた可能性が高い。


もちろん、脱原発を支持しない、脱原発に反対の立場の人は、その方が良かったということになるだろうし、論理的には筋としてわかる。


しかし、世の中にしばしばいる、脱原発を掲げながら小沢派を支持し、菅降ろしや菅叩きを賛美する人というのは、いったいその論理的不整合を自分でどう考えているのだろう。
結局、そういう人々は、不平不満を何かに対してぶつけて、ストレスを発散させるために政治をネタにしているだけなのだろうか。