加藤節 「政治学を問いなおす」

政治学を問いなおす (ちくま新書 450)

政治学を問いなおす (ちくま新書 450)


「今、ここ」での自由の現実、自由の内実を問い、そのうえで学問としての自由論と結びあわせていくこと。

著者の提起しているテーマは、あらためてとても深く考えさせられる。

「政治の究極にあるものが人間の生き方を決定し、時として人間の生命価値をも奪いうる暴力的な力であるとすれば、われわれの側にも、それ相応の覚悟なければならない。政治の非合理的な力によってアイデンティティへの欲求を押しつぶされて行く人間の悲劇性を克服し、何物にも換えがたい原理としての人間の優位を維持し抜こうとする決然たる意志を持つことがそれであって、これこそが政治に立ち向かう際に要求される最低限の精神的態度であると言ってよい。・・・政治学者には、人間のあるべき理念的なあり方への確固たる確信をもつこと、人間の生の条件に直接関わる困難な問題に正面から立ち向かっているとの自負を失わないことが特に要請されると言ってよい。」(16〜17頁)


二十世紀が「政治的死」のあまりにも多かった時代だったという指摘も重い。

「政治的死を回避しようとする努力を放棄することが、無念の思いをもって政治的死に直面した数多くの人々の死を全く無意味なものにすることに通じていることにほかならない。彼らを襲った運命の無惨さを想起し、それを自己の問題として引き受けない限り、われわれが彼らとともに生き、彼らがわれわれの中で生き続ける途はないからである。」(84頁)

ゆえに、政治的死を回避する論理を編み出す義務があること。
権利・(立場の交換を想像し共感する営みにもとづく)寛容・戦争状態が政治の終焉であるという自覚、の三つを持つこと。

という提言がなされている。
政治について考える際に、とても大事なポイントだと共感する。

人間の生の条件を規定する政治の動向へのたえざる批判的な検討や警戒、および、民主的な秩序や民主的現実の内実を問い、その実現に向けて自由で自主的な個人が努力すること、といった提言は、本当にいまもって、いや、いまだらこそ大事なテーマだと思う。

また、この本の中で、著者は、現憲法の価値や九条を擁護して、押し付け憲法論を批判している。
第九十回帝国議会を重視して、憲法制定権力が国民・国会にあったことを歴史的にきちんと述べている著者の視点は、傾聴すべきだし、有意義なものと思う。
それは、改憲の立場に立つにしろ、護憲の立場にしろ、どちらにとっても大事な視点だろう。
また、日本国憲法ナショナリズムを整合的なものだとし、現憲法に基づいたナショナリズムを提起し、「専制、隷従、圧迫と偏狭」の除去に献身する政治道徳に国民としての誇りや名誉を見出す現憲法におけるナショナリズムの可能性と価値を説いていることは、とても納得がいくし、なるほどと思った。

さらに、著者が、批判主義政治学の貴重な水脈として挙げている、南原繁丸山真男福田歓一の著作は、たしかに、後世も大事に受けとめていくべきものだろうと、読んでいてあらためて思った。

丸山真男がいう、デモクラシーにおいて大事な要素としての、「永久革命」の構えと、「精神的貴族主義」というのは、たしかに、デモクラシーが虚妄に陥らないためには、たえず必要なものなのかもしれない。

政治学の生命は、歴史的文脈の中に成り立つ現実、理論を原理として取り組む実践性にかかっている」(194頁)

という言葉も、本当にそのとおりと思う。

また繰り返し読もうと思う本である。

また、南原繁丸山真男福田歓一や石田雄の著作も、ちゃんと読もうと思わされる本である。