鶴見俊輔の訃報を聞いて

鶴見俊輔さんの本には、本当に多くのことを教えられた。
あらためてしっかり読んでいきたいと思う。
生前の御姿に触れることができなかったのが残念。
一度でいいから実物を見てみたかった。


小さな状況をいくつも地道に自分の周りに積み重ねること。
自発的で抑圧のない関係や状況を、自分自身が日常生活の中でちょっとずつつくること。
そこにのみ良い未来をつくっていく道がある。
鶴見俊輔さんが言っていたこと、そして行っていたことは、本当に大事な未来の鍵と思う。


人にとって何よりも大切なことは人間としてまともなことであり、右か左か、イデオロギー的立場が何か、ということは二の次に過ぎない。
そういう鶴見さんのスタンスも、本当に共感したし、これからも忘れずに思い起したいと思う。


鶴見さんがアメリカ哲学を戦後間もない頃に紹介して随分時が経つけれど、未だにあんまりアメリカのプラグマティズムは、日本人にとって十分に吸収消化されたものとは言えないような気もする。
かくいう私も勉強不足なので、アメリカのプラグマティズムについても、あらためて学び直さないといけないなぁと思う。


にしても、丸山真男大西巨人や、鶴見俊輔といった人々もすでに去った。
今後の日本は、そういった人々の言葉の数々を忘れてしまうのか、それとも思い出して生かしていくことができるのか。
そこに一つの岐路があるような気もする。


上野千鶴子さんが鶴見さんに対する追悼文の中で述べていたことは、本当に同感である。


「鶴見さんは、このひとが同時代に生きていてくれてよかった、と心から思えるひとのひとりだった。
鶴見俊輔
リベラルということばはこの人のためにある、と思える。
どんな主義主張にも拠(よ)らず、とことん自分のアタマと自分のコトバで考えぬいた。」


あとは、我々自身が、どれだけ自分のアタマとコトバで考え抜き、生き抜いて、同時代の人々、そして後世の人にとって、この人が生きていてくれてよかった、と思われるような人間になれるかどうかが大切なのだと思う。
それは別にたいそうなことをするのではなくて、小さなことを誠実に積み重ねていけば、おのずとそうなるのではないかと思うし、そのことを鶴見さんは教えてくれたんじゃないかと思う。



鶴見俊輔さん死去 万引き・退学…破天荒な少年時代 小学校卒でハーバードへ 行動する知識人
(ウィズニュース - 07月24日 05:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=3531469