佐々木毅 「プラトンの呪縛」


とても面白かった。

二十世紀に、プラトンがどのように読まれたか、さまざまなプラトン解釈を実にわりやすく整理してあって、プラトンという鏡に映された近現代の思想の動向や歴史の動向が、とても生き生きとわかりやすく叙述してあり、なるほど〜っと思ったり、いろんな考えや興味を触発された。

私にとっては、さまざまなプラトン解釈の著述家の中では、ヴィラモーヴィッツとクロスマンのものが最も興味深く思われた。
この二人のプラトン研究は、いつか読んでみたいものだ。

また、著者が言うように、プラトン解釈自体としてみた場合にはやや強引な気もするが、ポパーが主張した、「漸進的工学」と「ユートピア工学」の話や、
「誰が国家を支配すべきか」という問いよりも、「悪しき、無能な支配者が余りに大きな害悪を及ぼすのを防止するような政治制度をどのように組織できるか」という問いの方が大事だ、というポパーの主張は、なるほどーっと思った。

また、よく考えてみれば、たしかに粗雑だし強引なのだけれど、ゲオルゲ派のプラトン解釈も、ところどころやけに共感する箇所があるのは、私の中にもやばい部分があるのかなぁとあらためて反省させられた。
ゲオルゲ派のプラトン解釈は、ナチスの精神的準備のようなものだったのだろうけれど、きっと当時の人々も、あの一見粗雑な議論に、何かとても共鳴共感するものを感じたからこそ、ゲオルゲ派やナチスがあのように台頭することになったのだろう。

戦後の、シュトラウスアレントプラトンをどう読んだかという話も面白かった。

著者が指摘しているように、プラトンは民主政治への警告者として、対話の相手として、今後も重要な意義を持つのだと思う。

また、ゲオルゲ派のような狂気をいかに避けるかということについても、プラトンの思想は、その長い解釈の歴史と一緒に、ひとつの思想史や鏡として、今後とも深く学ばれ検討されるべき対象なのかもしれない。

どうも私は、アリストテレスよりもプラトンに心惹かれて、今までもプラトンの方を多く読んできたのだけれど、この本を読んで、プラトンをもっと深く読みたいと思うのと同時に、アリストテレスをしっかり読まないとなぁとつくづく痛感させられた。