福沢諭吉の『福翁百話』を一日一話ずつブログにアップするようにして、ついに百日間一日も欠かさず、今日完成させることができた。
多くの方が読んでくださり、コメントをくださったおかげだと思う。
あらためて感謝。
この百日の間は、忙しい日もあれば、個人的に大変な日もあり、わずか一日一話とはいえ、訳して載せるのはなかなかしんどい気がする時もあった。
しかし、なにせ自分でやると決めたことであったし、読むのを楽しみに待ってくれている方もいるので、なんとしてもと気力で押し切ったことも何度かあった。
人間、やればなんとかなるものだなぁとあらためて思う。
いっぺんにやろうとすれば、とても膨大な分量でできないことも、一日一つずつやって、百日も経てば、かなり大きな分量でもできるということも、あらためて感じる。
人は知らなくても、自分自身に大きな達成感がある。
また、これを可能にさせてくれた多くの縁にも本当に感謝したい。
訳そうと思うと、ただ単に読むよりもかなり注意深く丹念に読むことができる。
訳しながらあらためて思ったのは、福沢諭吉は、本当に、なんといえばいいのだろう、賢者といえばいいのか、達人といえばいいのか、その余裕やユーモアや懐の広さや智慧ははかりしれないなあと、あらためてそのすごさをひしひしと感じざるを得なかった。
紙幣の肖像として有名なわりには、必ずしも福沢諭吉はきちんと読まれたり、よく理解されることは、今もってあんまり多くない人物であると思う。
きちんと丹念に読むと、そこには本当に人生の役に立つ、すばらしい智慧がいっぱいこめられている。
特に、この『福翁百話』はそうした一冊だと思う。
今日は、心地よく眠れそうだ。
しかし、『福翁百話』には続編の『福翁百余話』が二十話ぐらいある。
これも、ぼちぼち訳していこうかなぁ。