ETV特集 「原発事故への道程」を見て

先日、録画しておいたETV特集原発事故への道程」を見た。


http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0918.html
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0925.html


前篇では、湯川秀樹らの慎重論を無視して、正力松太郎らが強引に早期の原発実現のために、短兵急な政策を進めた様子が描かれていた。
ろくに基礎研究も技術もなく、アメリカやイギリスから不用意に原発を輸入したことにより、かえってコスト高や危険が生じたことを見ていると、なんともその杜撰さに驚かされる。


福島原発があった場所は、元は海面から35mの高い崖だった。
それをわざわざ、25m削って、10mの高さにして原発を建てた。
そして、13mの洪水でやられた。
削らずに、もとの地形の上に立てていれば、洪水にはやられなかったはず。
結果として、コストもずっと安くついたはずなのに。


なぜ、わざわざ地形を削って原発を建てたかというと、アメリカのメーカーとのターン・キー(一括購入)契約だったためだったそうだ。
米メーカーの設計だと、冷却水を汲むポンプが10mだったため、それに合わせて地形を削ったと。
安全性より、米メーカーとの契約やコスト安を優先したわけだ。


また、予算の使い道がはっきりしないうちに、やたら巨額な原発関連予算がどんどんついていったらしい。
やはり、「国策民営」で、市場や民意を無視して国家が何かをしようとすると、ろくなことは起こらないのではないか。
日本の原発には、ろくに民意や市場が機能しなかった。
ほとんどソビエトのような社会主義のようなものだった。


一、自国の技術や研究を地道に積み上げないで、短兵急な原発輸入に走った。
二、そのため、ターン・キー契約を結ぶことになり、安全性を無視した。
三、杜撰な予算に巨額の国費を使った。 


ということを考えれば、正力松太郎を初めとして、日本の原発行政を推進した自民党連中は、随分罪が重い。


また、後編においては、伊方原発訴訟が描かれていた。
伊方原発訴訟で、司法や政治や世論が、もう少し違っていたら、日本の原発行政ももっと異なったものになっていたろうと、見ていて思われた。
そして、福島の悲劇も防げていたのかもしれない。
いろいろとターニングポイントはあり、そのつど無策だったことが、なんとも無念。


原発は、日本の戦後の民主主義のありかたの問題を照らしだすものでもある。
そして、それを放置していてはとんでもない事態になることが、3.11で露呈した。
歴史的な経緯をきちんと把握し、我々はもう一度、我が国の原発行政のありかた、ひいては司法や世論のありかた、民主主義のありかたについて、再考しなければ、とても本当の意味での復興にも、新しい日本を本当の意味で創っていくこともできないと、あらためて考えさせられる。