現代語私訳『福翁百話』 第五章 「原因と結果の法則」

現代語私訳『福翁百話』 第五章 「原因と結果の法則」(因果応報)




今まで述べてきたように天の定めた道理が真実であるとすれば、この宇宙のあらゆる物事の間に働く原因と結果の法則も真実で正確であることについて、疑うべきではありません。


私たち人間の認識できる範囲のよく見聞することで言えば、たとえば、豆の種を蒔けば必ず豆の苗が生じて豆の実を結びます。また、この豆に肥料を与えればよく成長して収穫も多くなります。一方、育てることを怠って水分が十分に与えられなかったならば、すぐに枯れてしまいます。


人間も、身体に栄養を適切にとり、健康に適切に注意していれば、病気にもかからず健康に過ごすことができます。一方、この逆のことをしていれば病気の苦しみが生じます。


人生において一瞬油断したがために性病にかかってしまった人は、その災いを百年のちの子孫にまでのこしてしまい、他の人を苦しめ、そのことによって国家社会にまで損害を与えてしまいます。


人間の肉眼で見ることのできない微細な細菌が、コレラ赤痢や腸チフスとなって、その地域に蔓延し流行して、何千万人もの人間の命を奪うその勢いというものは、たとえば一本のマッチが大火事の原因となって大都会を燃やし尽くしてしまうようなものです。


「巨大な堤防も蟻の穴から崩れる」ということわざは嘘偽りのない真実であって、すでに重要な部分に一点でも蟻の穴が生じてしまった時は、その穴がどんなに小さなものでもそこから河川の水が浸入する原因となり、いつかは堤防が決壊する災いが起こるのです。

一滴の水、一粒の砂、一本の毛、一枚の羽根、一粒の塵、一つの埃、それらの微かな小さなものでも、その物質は何らかの変化なしには消滅しないという天の法則がありますので、それらのエネルギーや働きは決して無ではありません。


これらのものが消滅したということは、エネルギーに転換したからであって、エネルギーに転換したことによって何らかの第二の原因を生じ、その結果はさらに原因となって第三の結果となって、第四、第五、次々に千にも万にも展開していき、ついに際限がありません。
しかも、その原因と結果が照応している正確さは真実であり絶対的であって、ちっぽけな人間の力などがごまかそうとしてもごまかすことのできないものです。


物理上の世界の事実は以上のようなものです。
この原因と結果の法則は、物質的な世界とは異なる、目には見えない人間の精神上の世界においても、全く同じことです。


ある人間のひとつの言葉、ひとつの行動が、他の人間の幸福や不幸の原因となるだけでなく、その連鎖が展開して経めぐるうちには、自分自身の幸福や不幸をそれらの行為が形成することは決して少なくありません。


「私はあの人の一言を聞いて一生涯の戒めとしました」という話や、「○○さんの徳のある行動を慕って自分の人生の手本とし、そのことによって自分も安心して人生の軌道に乗ることができました」などといった話は世の中には多くあります。


また、姑が嫁に優しくし、あるいは嫁を憎んだことが原因で、嫁の心が左右されて、嫁も姑も両方とも仲良く楽しく暮らした、あるいは両方とも憎み合って嫁姑地獄で苦しんだ、ということもよくある話です。


一人の若い女性が悩みのあまり自殺しようとしているのを通りがかった人がたまたま目撃して止めて、その事情を聴いて悩みの相談に乗ってあげて、その女性を支援して守ってあげて就職を紹介してあげて、そのあとこの女性と結婚して子どもが生まれ、その子どももとても出来が良くて健康で、その家族はとても幸福になって成功して独立自尊の人生を送った、という話もあります。


一方、気分にむらがある人が、怒るべき時ではないのに怒りだして、その怒りから一人の若い青年にひどい言葉を投げつけて叱り飛ばし、その青年は気が小さな人間でとても怖がって心が折れて気落ちしてしまい、ついに自暴自棄に陥ってしまって、非行に走り遊び呆けるようになって、お酒やその他の悪事に耽って悪い病気や副作用を持つようになり、健康が損なわれながらも一応結婚して大勢の子どもを持って、その子どももまた病弱で悪く育って社会の役に立たず、一人の青年が悪くなってしまったことが百年のちの社会にも悪い影響をのこしていくということもあります。


こうした事例は、その原因と結果の関係の連鎖は極めて複雑で、一概にこれがその原因でその結果がこれだとは明らかに原因と結果の筋道を指摘することが難しい場合もありますが、人間の一挙一動、一つの言葉や一つの行動が、微妙なところで原因となり結果となっていくことには、議論の余地ないことで、これらの事例もその十分な証拠となることでしょう。


さらに一歩進んで言うならば、悪いことをした人は必ず災いを受け、善いことをした人は必ず幸福になります。善悪と幸不幸はそれぞれ対応しています。


とは言うものの、孔子の時代の大悪人だった盗跖はこれといった天罰をなかなか受けず、孔子の弟子で品行方正で徳の高かった顔淵は早死にしてしまうなど、この人間の世界の現実は、しばしばこの原因と結果の法則と違っており、時には全くその反対の事例を見ることもあります。


とはいえ、そもそも、天の道理というものはとても広大な時間で作用するもので、そのことについて人間は十分な智恵を持たず愚かなものです。
したがって、宇宙の大きな大きな働きは、人間の浅はかな智恵でははかり知ることができないものです。


私たちがなすべきことは、今現在実際に現れて私たちが認識できる範囲の出来事を根拠にして考えても、原因と結果の法則が嘘偽りのない真実のものであることは、物理上の世界のことも人間の精神上の世界も全く同じであると理解すること。そして、この原因と結果の法則は決してごまかすことのできないものだと信じること。そのうえで、言葉も行動も両方とも悪を避け善に近づくこと。さらに、先人に対しては自分たちの今があるのはその努力や苦心のおかげだと思って恩返しをしていこうと思い、未来の子孫たちのためにはより人類の文明や文化が進歩するように自分たちが一歩を進めてあげようと思い努力すること。ただそれだけのことです。