小山一行 「釈尊の道」

釈尊の道―その生涯と教え (1977年)

釈尊の道―その生涯と教え (1977年)


とても良い本だった。

簡潔に、わかりやすく、仏教とは何か、釈尊そのものに即してまとめてある。

あらためて、なるほどーっと思うこともたくさんあった。

著者は浄土真宗の僧侶・研究者の方だけれど、この本は一切浄土真宗についてのことは書かれておらず、釈尊そのものについて書かれてある。

まず、釈尊から入ることを著者は勧め、

「初めて仏教を学ぼうとする人は、日本仏教の特定の宗派に近づくことをあまりに急ぐよりも、釈尊その人の生き方に接し、仏教の根本思想を正しく理解することが大切である」

と述べているが、本当にそのとおりと思う。

因縁の教えについて、「どんな小さなことでも、必ずいつか何らかの結果を生むという態度は、私の心に限りない責任と自覚を呼びさます」と指摘していることには、なるほどーっと思った。

また、「私」とは、「業による三世因果の流れ」ということ、そして「業によって流転する自己の姿を自覚すること」ということも、なるほどーっと思った。

縁起→無常→無我 の世界の自覚が、固定観念からの脱出であり、そこに人は真の自由を得る、ということも、なるほどーっと思った。

釈尊の悟りの体験からすれば、凡夫の私たちの方がすでに大きな偏見と独断の中にあるわけで、この独断や偏見をはらい、片寄りを離れて物事の真実の姿を見ることが、「如実知見」だということも、なるほどと思った。

無明とは、ダルマを知らないこと。
私という人間もまた、ダルマの現れであること。

苦は私の外側にあるのではなく、私の心のあり方が誤っていることから起こる。
その原因が「渇愛」であること。

老病死そのものでなく、老病死を受けとる私の心のありかたに苦が生じる。
私の心のありかたが転換し、人は生きている以上必ず死ぬと受けいれ、二度とない一日一日を真に充実したものにすることによって、いつ死がおとずれても悔いのない人生を送る。
それが仏教ということ。

中道とは、今日風に言えば、単なる快楽主義でもなく、悲観主義でもない、偏見や独断を離れてありのままに人生を見ること、ダルマに基づいて生きること、ということなどなど、

なるほどーっと思うことのいっぱい詰まった本だった。