- 作者: 小山一行
- 出版社/メーカー: 山喜房仏書林
- 発売日: 1977/12
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とても良い本だった。
簡潔に、わかりやすく、仏教とは何か、釈尊そのものに即してまとめてある。
あらためて、なるほどーっと思うこともたくさんあった。
著者は浄土真宗の僧侶・研究者の方だけれど、この本は一切浄土真宗についてのことは書かれておらず、釈尊そのものについて書かれてある。
まず、釈尊から入ることを著者は勧め、
「初めて仏教を学ぼうとする人は、日本仏教の特定の宗派に近づくことをあまりに急ぐよりも、釈尊その人の生き方に接し、仏教の根本思想を正しく理解することが大切である」
と述べているが、本当にそのとおりと思う。
因縁の教えについて、「どんな小さなことでも、必ずいつか何らかの結果を生むという態度は、私の心に限りない責任と自覚を呼びさます」と指摘していることには、なるほどーっと思った。
また、「私」とは、「業による三世因果の流れ」ということ、そして「業によって流転する自己の姿を自覚すること」ということも、なるほどーっと思った。
縁起→無常→無我 の世界の自覚が、固定観念からの脱出であり、そこに人は真の自由を得る、ということも、なるほどーっと思った。
釈尊の悟りの体験からすれば、凡夫の私たちの方がすでに大きな偏見と独断の中にあるわけで、この独断や偏見をはらい、片寄りを離れて物事の真実の姿を見ることが、「如実知見」だということも、なるほどと思った。
無明とは、ダルマを知らないこと。
私という人間もまた、ダルマの現れであること。
苦は私の外側にあるのではなく、私の心のあり方が誤っていることから起こる。
その原因が「渇愛」であること。
老病死そのものでなく、老病死を受けとる私の心のありかたに苦が生じる。
私の心のありかたが転換し、人は生きている以上必ず死ぬと受けいれ、二度とない一日一日を真に充実したものにすることによって、いつ死がおとずれても悔いのない人生を送る。
それが仏教ということ。
中道とは、今日風に言えば、単なる快楽主義でもなく、悲観主義でもない、偏見や独断を離れてありのままに人生を見ること、ダルマに基づいて生きること、ということなどなど、
なるほどーっと思うことのいっぱい詰まった本だった。