里中満智子 「アトンの娘」

これは名作だった。
古代エジプトが舞台で、ツタンカーメンの妻のアンケセナーメンが主役。
アメンホテプ四世やネフェルティティも登場し、一神教多神教の対立というテーマもよく描けている。
理想と現実、親への反発、大人と子供、などなど、普遍的なテーマをうまく盛り込んであって、古代エジプトと現代と、あんまり人間は変わってないのかもなぁという気になった。

結局、人間は賢くなったのか、あるいはそんなに変わってないのか。
よくわからないが、何かしら胸を打たれるものが、うまく言葉にはならないが、この作品にはあると思う。

そういえば、ずいぶん昔、子どもの頃、ツタンカーメンの黄金のマスクの実物を見たことがあったけれど、背景にこんな物語があったのかもなぁと思うと、しみじみとした気持ちになった。
いつかカイロの博物館にも行って、アンケセナーメンツタンカーメンに供えたドライフラワーも見てみたいものである。

花祭りに寄せて

今日は花祭りの日。
日本だと仏陀降誕会ということになっている。
ただ、スリランカやタイなどの国では、ウェーサーカー祭という祭りが、日本の花祭りとは別の日に行われている。
ウェーサーカ祭は、仏陀の誕生日と悟りを開いた人と入滅した日を祝うお祭りだそうで、南伝仏教だとこれらは同じ日に起こったことだそうである(日本だと悟りを開いた臘八会が十二月八日で、入滅した日の涅槃会は二月十五日でそれぞれ降誕会とは別の日に記念している。)
国連にも国連ウェーサクの日祝祭というのがあるそうで、日本も花祭りの日にこだわらず、その日やあるいはタイなどのウェーサーカ祭の日に合わせても良い気がするけれど、なんであれ、偉大な人物を記念するお祭りというのはゆかしく麗しいものかもしれない。

私が思うに、イエス・キリストを別格にすれば、人類の精神に影響を与えたという点で最も偉大な人物は、ソクラテスパウロ仏陀なのではないかと思う。
仏陀のことばや生涯を記したパーリ仏典と、ソクラテスの言行を記したプラトンの著作と、パウロの書簡を日々に読んでいけば、勇ましく高尚な生涯になるのではないかと思う。

ちなみに、仏陀の入滅後、数百年の間は、仏像や仏画はつくられていなかったそうで、もともとは仏教は偶像崇拝ではなかったし、極めて哲学的・実践的で、儀式や加持祈祷などの宗教とはかなり様相が異なっていたようである。

仏陀の言葉を読んでいて、ただただ感嘆するのは、そのシンプルな明晰性である。
パーリ仏典を読んでいて、仏陀の言っていることで何かおかしなことや理にかなわないところを、どうも私は見つけることができない(漢訳の大乗仏典は別である)。
二千六百年ぐらい前に、これほどの明晰な言葉を述べることができた人物は、やっぱり悟っていたのだろうなぁと思う。

ただ、日本の仏教は、どうもあんまり仏陀の教えが伝わっていないのではないかと思う。
お寺はたくさんあるし、一応江戸時代の檀家制度の影響で、今もってなんらかの形で仏教の檀家や門徒の人は多いのだろうけれど、ではそれらの人がどの程度、本当にパーリ仏典を知っているかどうかというと、かなり疑問である。
漢訳の大乗仏典は、中には多少はパーリ仏典の内容と共通するものもあろうけれど、たいていの場合意味もわからず漢文を棒読みして呪文のようになってしまっている場合も多いと思う。

実はなじみが一見あるようで、日本人にとってパーリ仏典や仏教は、聖書やキリスト教と同じ程度に、実はよく知らないという謙虚さを持った方が良いのではないかという気もする。
死んでから意味もわからない漢文のお経をあげてもらうよりかは、生きているうちに良い言葉に触れていくことが、勇ましく高尚な生涯につながると思う。
いろいろと古典に触れて、すべてを吟味して良いものを大事にし、あらゆる悪い事柄から遠ざかることが、人生においては大切なことなのだろうなぁと思う。

賢者アヒカルのことば

古代アッシリアの格言集に「賢者アヒカルの言葉」というのがある。
アッシリアセンナケリブ王やエサルハドン王に仕えた顧問官だった人物である。

格言集の冒頭には、そうした王たちに仕えて位人臣を極めたアヒカルが、子どもがいなかったので甥を養子に迎え、自分の顧問官の地位を甥に譲り引退したところ、なんとその甥がアヒカルを王に讒言し告発した、というエピソードが描かれる。
王の命令でアヒカルを殺しに来た大臣に対し、アヒカルはかつてその大臣が先代の王の不興を買って死刑を命じられたところ、自宅にかくまって王の怒りが鎮まったあとでとりなし、助けたことを思い出させ、自分を助けてくれるように頼む。
大臣はかつての恩義を思いだし、山中で身代わりの奴隷を殺害し(それはそれでけっこうひどい話だが)、目付にはその死体を見せて、アヒカルをかくまう。
やがて、王の怒りが鎮まり、アヒカルの助言があったならばと言い出した時に、実はアヒカルは生きていると告げると、王は喜び、アヒカルは復権した。
というところで、粘土板が欠損していて、続きはいきなり格言集で始まる。(甥がどうなったかは若干気になるところである。)

で、このアヒカルの格言、なんと聖書の箴言と同じ内容の格言が多々含まれている。
聖書の箴言は、このアヒカルの格言などのメソポタミアの格言集、およびエジプトの格言集をかなり取り入れて、そのうえで成立しているらしい。
いわば、聖書の箴言は、古代オリエント世界の知恵の結晶とも言える。
もちろん、アヒカルの格言に含まれていない素晴らしい言葉が聖書の箴言には多々あるのだけど、聖書の箴言には含まれていないアヒカルの格言集にのみあるすばらしい言葉もある。
たとえば、

「口の教えは戦争の教えにまさる」

「誰もその名を知らぬような星が天にはたくさんある。同様に、誰も人類すべてのことを知っていはしないものだ。」

など、本当に貴重な知恵の言葉と思う。
他にも、借金はするなだとか、警戒を怠るな、などの現代人にも通じる格言も多い。

アヒカルは、紀元前700年頃の人物で、いわば顧問官の政治学の元祖みたいなものかもしれない。
遠い昔の人物の言葉がこうやって残っているというのは、なかなか面白いことである。


ちなみに、ネット上に、アヒカルの格言をまとめたサイトが検索したら見つかった。便利な世の中である。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/ahikar.html

「マンガ ユング深層心理学入門」

マンガ ユング深層心理学入門 (講談社プラスアルファ文庫)

マンガ ユング深層心理学入門 (講談社プラスアルファ文庫)

わかりやすくよくまとめてあった。
面白かった。

「シュメル神話の世界」

シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン (中公新書)

シュメル神話の世界―粘土板に刻まれた最古のロマン (中公新書)

世界最古の都市文明、シュメルの神話の解説。
粘土板の解読によって再び知ることができたシュメルの神話の世界は、とても豊かで興味深い。
ギルガメシュ叙事詩やルガルバンダやニンウルタの物語ももちろん興味深いが、この本で特に心に残ったのは、ウルなどのシュメルの主要都市が異民族の攻撃で滅びた後の「滅亡哀歌」と呼ばれるジャンルである。
都市や王朝の滅亡の嘆きと、その描写を見ていると、本当にさまざまなのちの人類の王朝や都市の滅亡、そして昨今のシリアなどの亡国の様子を見るようで、胸が痛む。
諸行無常と哀歌は昔から人の世の常だったのだろうか。
あと、イナンナ(イシュタル)が冥界に下り、誰か身代わりを置かないとこの世に戻れないとなった時に、自分の死を嘆き悲しんでいる知人友人たちは身代わりとせず、能天気に明るく楽しそうに暮らしていた夫のドゥムジ(タンムズ)に激怒して身代わりとして冥界に送ったという説話は、なかなか面白かった。
イナンナ(イシュタル)は、ユング心理学だと大地母神の原型をあらわしていて、母性の良き側面と悪の側面と両方現しているそうだけれど、なかなか興味深いものである。
あと、何より興味深いのは、シュメルだと神話で障害のある人々の職業が決められて、ちゃんと生きていけるように社会参加できるように配慮されていたということである(たとえば目の見えない人は宮廷の音楽師になるなど)。
よくできた文明だったんだなぁと感心。
シュメル―バビロニアアッシリアなどのメソポタミア文明は、旧約聖書を通じていろんなところに今も人類に影響を与え続けているわけで、やっぱりきちんと知っておいた方がいいのだろうなぁとこの本を読んであらためて思った。

謎の村について

誰かご存知の方がいたら教えていただきたいのだけれど、どう考えても不思議な場所に以前行ったことがある。

といっても、そんなに遠いところではなく、同じ福岡県内である。

十年ぐらい前、ちょうど今のように春頃、ドライブにぶらりと行った。
八女インターから高速を降りて、442号線をずっと辿り、52号線から八女市の星野のあたりを目指して、走っていた。

地図通り走っていたのだけれど、なんだか急に山道になり、えっらい古い感じの小さな石橋を越えて行くと、びっくりするぐらい広い茶畑がずっと広がっていた。

白い給水用のスプリンクラーだろうか、それも何本か立っていて、人がほとんどいなそうな、しかしちゃんと手入れの行き届いた茶畑が延々と広がっている。

地図を見ても、どこだかさっぱりわからないので、来た道を戻るよりも、進んでいけばどこかに出るだろうと思い、ずっと先に進んでいった。

すると、山桃の花だろうか、赤く美しい花が色とりどりに咲いていて、小学校や家がちょっと存在している一角が見えてきた。

近づいていくと、途中、古いお宮があって、旗ののぼりが出ていて、なんだか説明の文章の看板も出ていたので、車を止めて降りて見てみた。

「不知親王」(しらずしんのう)と書いてあって、京都の帝の命令を受けてこの地に来て、土地の娘と恋に落ち、長くこの地に住んで、学芸や武術を伝えて過ごした、云々かんぬんと書いてある。

いまいちいつ頃の人物かわからないが、つり眼のきっとしたわりと若そうな顔の木像で、それなりに神韻縹渺とした感じのわりと小さな木像だった。

すると、近所の人らしいおばあさんがお花の取り換えにやってきて、昨日今日はお祭りだから特別に開扉して御像を見れるとの話しだった。
ここがどこだか聞いても、いまいち要領を得ない。

御礼を言って、道が狭そうなので、そこに車を置いたまま、てくてく人家や学校があるあたりに向かって歩いて行くと、学校から子どもたちの元気な、何かを唱和している声が聞こえてくる。

窓から少し様子が見えると、空手か柔道のような服装に袴をつけて、何かを唱和して朗読しているようだけれど、どうもそれが古文か漢文のようである。

それで、狭い路地をちょっと歩いて行ったのだけれど、全体としていかにも過疎化の進んだ日本の田舎の、町とも言えないぐらいの古い町で、どうもあんまり人気がない。

しかし、植木鉢につつじや盆栽が美しく手入れが行き届いていたり、山桃や梅が方々に咲いていて、とてもきれいだったし、そのお祭りのためだろうか、いまいち他の地域では見たことがないカラフルな飾りがしばしば飾ってあった。

と、タクシーの運転手さんの格好をしたおじいさんが歩いてきたので、すみません、道に迷って、と話しかけて、ここの場所を聞くと、「知らず」というので、ふざけた人だなぁと思ったら、「不知」と書いて「しらず」と書く地名だと笑って答えていた。

タクシーかバスを待つためのベンチに勧められるままにしばらく腰かけて、ちょっとだけ御話したが、このあたりは古い時代の隠し田や隠れ里だったのではないかという話である。
どこからそういう話になったのかいまいちわからないのだけれど、そのおじいさんは古代史がとても好きだそうで、「秀真伝」(ほつまづたえ)を個人的に研究しているそうである。

私は秀真伝についてはほとんど何も知らないのだけれど、たまたま本のタイトルと神代文字の存在を聞きかじったことがあったので、多少話を合わせるとたいそう喜ばれて、土地の人は南北朝ぐらいの話と思っているけれど、不知親王は実は古代にさかのぼる伝承なのではないかとひとしきり語ってくださり、ここからしばらく行った山の上には不知親王の墓があって土地の人が大事にしているが、実はあれが墓ではなく、付近のなんとか山が古墳ではないかと自分はにらんでいる、とのことだった。

これから行ってみないか、と言われたが、そうしていると日が暮れそうなので、52号線に戻るにはどうすればいいかと尋ねると、来た道をずっと戻れば良いとのことなので、御礼を言って別れて戻っていった。

まだそんなに日が暮れる時間でもないけれど、山の際に太陽がかかって、薄暗くなり始めていた。
しかし、こじんまりとしたその村は、とても美しくなつかしい感じがした。

車に乗って、元来た道をずっと戻って行ったら、最初に来た小さな石橋のところに来て、きれいな小川が流れていて、ほっとし、しばらくそこを越えて進んでいくと、元の道に戻り、その日は他は特にどこかにも行かず、442号線を戻って、家に帰っていった。

で、不思議なのは、それからどれだけ、地図やインターネットで探しても、「不知」という地名が見つからない。
あの村は、いったい何だったのだろう。

日本にもまだ、知られざる隠れ里があちこちにあるのだろうか。


(読んでくださった方には申し訳ありませんが、これはもちろん4月1日エイプリルフールの嘘です。御海容のほどを。)

セミラミスについて

ギリシャに伝わる伝説に、アッシリアの女王セミラミスの伝説がある。

幼くして親に捨てられ、鳩に育てられて成長し、やがて美しく聡明な少女となり、オンムスという軍人と恋に落ちる。
オンムスは将軍となり、バクトリア(というからインド西北部の古代国家)と戦いに出征し、どうしても攻略できない要塞都市の前に攻めあぐんでいると、セミラミスが智謀と策略を提案し、そのおかげで見事にオンムスはその都市の攻略に成功し、英雄として凱旋する。

しかし、オンムスを妬み、かつセミラミスを見初めたアッシリアの王・ニヌス(もしくはニンヌス)により、セミラミスは王の側室にされてしまう。
その様子に、オンムスは絶望して自殺してしまう。

セミラミスはニヌスの寵愛を受け、王子も生まれる。
ある時、セミラミスは言葉巧みにニヌスに、五日間だけ自分に王冠をかぶせ、王にしてくれと頼み、説得に成功する。
ニヌスは部下たちに命令し、五日間はセミラミスを王として仕えるように命じる。
最初の一日目、セミラミスは大臣や将軍たちを宴会に招いて接待し、手なずける。
二日目、ニヌスを幽閉する。
三日から五日の間に、ニヌスを殺害し、国の全権を掌握した。

その後、セミラミスは空中庭園をつくったり、運河や道路をつくり、また各地に転戦し勝利し、アッシリアの領土の回復や領土拡大に成功する。

しかし、再びバクトリアとの戦いになり、バクトリア軍の象の部隊に苦しみ、布にわらをつめて象の模型をつくり、一時的には互角に戦うものの、結局敵に見破られて敗北を喫する。

国に帰るが、部下や民衆の怨嗟が自分に向いていることを自覚し、王位を息子に譲り、自分は鳩となって地上から去って行った。

という物語である。

全くの絵空事かというと、どうもそうではないらしい。
モデルは紀元前九世紀頃、実在したサンムラマットという女性で、シャムシ・アダド五世の死後、息子のアダド・ニラリ三世の摂政として権勢を振るったそうである。
評価は二つに分かれるらしく、当時はアッシリアの領域が著しく小さくなりアッシリアが弱体化した時代なので、アッシリアの混乱や王権の弱体化を招いた悪女という説もあれば、逆にアダド・ニラリ三世の頃からアッシリアの国運の回復が始まるので、亡国の危機に瀕したアッシリアの中興を成し遂げた聡明な女性という説もあるようである。

いずれにしろ、長く伝説として語りつがれるのだから、当時においても忘れがたい強い印象を人々に与えたのだろう。
男性ばかりのアッシリアの王名表や歴史の中で、特異な人物であることは確かである。

ちなみに、おそらくこの時代が、旧約聖書預言者・ヨナの時代である。
また、シャムシ・イルという宦官が絶大な権勢を振るっていたことも碑文からわかっている。

やたらキャラ立ちしたキャラが多い時代なので、ドラマ化したらきっと面白いと思うんだけどなぁ。