高橋三郎 「新約聖書の世界」

新約聖書の世界

新約聖書の世界

これはすばらしい名著だった。
新約聖書の成立過程を丹念に解きあかし、「使徒」と呼ばれる人自身が執筆したテキストは新約聖書の中で実はパウロ書簡のみであり、福音書や二次的に福音の背景を明らかにするために成立したことを明らかにしている。

しかも、福音書の成立過程を解き明かし、編集者の意図によって諸資料の断片が構成されている以上、福音書をいくら読んでも確定的な事実は明らかにしえないことを指摘している。

その上で、真理の複数証言ということが重要であり、どれか単一の福音書のみ重視したり単一のものをつくるのではなく、複数の福音書があることこそ、そして複数の真理証言から全体としての真理をつかむことこそ重要であることを指摘している。

また、パウロの課題が「律法からの解放」であり、律法によるイスラエルから信仰によるイスラエルへの移行こそパウロらによって行われた決定的に重要な出来事だったのであり、それに比べればルターの宗教改革内村鑑三の無教会主義はそれほど断絶的な契機を持たず、カトリックプロテスタント・無教会はどれも信仰によるイスラエル=神の民の内部のことであるという指摘もなるほどと思った。

また、カトリックはマタイ的教会観を、無教会はヨハネ的エクレシア観を継承しており、これはもともと福音書においても併存していたものであって、真理の複数性として一方を排除すべきではないというのは、なるほどと思った。

繰り返し読まれべき名著と思う。

林えいだい 「銃殺命令 BC級戦犯の生と死」

この本を読むまで私は全然知らなかったのだけれど、戦時中、折尾に俘虜収容所があり、アメリカ・イギリス・オーストラリア・オランダなどの捕虜になった軍人たちが収容されていたそうである。
炭鉱の労働に駆り立てられ、病気の時も労働を強いられたり、時には虐待を受けることもあったそうである。
その中で、オーストラリア出身のアービンという人物が脱走を図り、逮捕された。
上からの命令で、折尾の俘虜収容所の松山所長がアービンの処刑をさらに兵士に命令し、岩沼曹長らが実際に刑を執行し銃殺した。
日本の敗戦後、戦犯裁判が行われ、岩沼曹長・松山所長ら四人に死刑判決が下る。
岩沼曹長のみ、奇跡的に妻たちの助命嘆願が実り、死刑ではなく終身刑減刑され、十年後に釈放される。
しかし、その間の妻や子どもたちの苦労は並大抵のものではなく、釈放後も心身の疲労のため岩沼氏自身が社会復帰するのに相当な時間がかかった。
また、当時にしては捕虜の人々の待遇に配慮し、実際に捕虜の将兵からも信頼が厚く、戦争が終わった後は捕虜だった人々からサインを記入された聖書をプレゼントされたというクリスチャンの松山所長が、弁護士や本人や家族たちは助かるという見通しを持っていたにもかかわらず、死刑執行され、讃美歌を歌いながら刑場に赴いたという話はなんとも気の毒である。
林えいだいさんがあとがきの中で述べている、「わたしは戦犯を擁護するつもりはないが、彼らが国民の責任を一身に被って処刑されたのも事実である。平和に慣れっこになると、つい戦争の苦しさを忘れてしまう。私は、亡くなった方々のご冥福を祈らずにはいられない。」というのは、重い一言だと思う。
戦犯の人々やその家族の人々もまた、戦争さえなければあのような目に遭わずに済んだことを思うと、つくづく戦争というのは観念ではなく具体的なとんでもない悪事だと思わずにはいられない。
重いが、長く読み継がれて欲しい貴重な一冊だった。

ラーフラ 「仏陀が説いたこと」

ブッダが説いたこと (岩波文庫)

ブッダが説いたこと (岩波文庫)

最良の仏教入門書として名高い一冊。
以前、英文で読んだことがあったけれど、あらためてこの日本語訳で読んでみた。
読みやすい良い訳だったと思う。
仏教の難解なキーワードである「無我」についても、極めて明晰にわかりやすく説明してある。
また、現代人にとって、世俗生活を生きる普通の人にとって、生きたものとしての仏教が平明に説き明かしてある。
多くの人に読んで欲しい一冊。
実は日本人は仏教について何も知らないという謙虚さをもって、この一冊は読まれると、大きく得るところがあるのではないかと思う。

プラトン 「ソクラテスの弁明」

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

ソクラテスの弁明 (光文社古典新訳文庫)

読みやすい良い訳だった。
ひさしぶりにふと『ソクラテスの弁明』を読みたくなり、一気に読んだ。
「吟味なしに生きることは人間として意味がない」こと。
真実に生き、死をも恐れぬこと。
あらためて、本当にインパクトのある名著と思う。
知らないことを知らないと気付いて生きていきたいものである。

アッシリアの滅亡の原因について

伊藤政之助の『世界戦争史』の第一巻が、わりとアッシリアについて考察してあり面白かった。

それで、アッシリアがなぜ最盛期を迎えたあと、一気に衰退し滅亡したかについて、いくつか原因を考察してあった。

アッシリアは、紀元前627年にアッシュルバニパル王が没したあと、わずか18年で完全に滅亡している。
それまで1400年間続き、いちおう建前としては万世一系の117代続いてきた王家が、まさか完全に二十年足らずで滅亡するとは、当時の古代メソポタミアの人々も思いもしなかったのではあるまいか。

伊藤政之助が挙げるのは以下の理由である。

1、強制移住政策をとったため、首都周辺に異民族が多く、首都陥落の際もぜんぜん愛国心が存在せず、頼りにすべき自民族は遠方にいた。

2、スキタイやキンメリなど、騎馬民族の攻撃。

3、アッシュルバニパル王が文治政策に走った結果、文弱になった。

4、長年の宿敵だったエジプトを倒して征服してしまった結果、目標がなくなり気が緩んだ。

5、軍事大国だったため外交を無視し外交が下手だったため、危機に瀕した際に誰も助けてくれる国がなかった。


なるほど、一応もっともである。

しかし、著者は、これらは決定的にとは言えないと自ら述べ、最終的に、


※ 王が暗愚だったため。

という理由を挙げる。

116代国王のシン・シャル・イシュクンが、なにせ暗愚で、ニネベが二年間籠城している間も毎日酒池肉林で遊びふけり、最後は王妃とともに炎の中に身を投げて死んだそうで、その間、なんら出撃したり勝つための工夫をしなかったという。

やっぱり、一国の盛衰は結局指導者の資質によるのだろうか。

アッシリアの中には、しばしば傑出した国王がおり、117代の中の13人ぐらいは、なにせ戦争が上手で卓越した才能を持ち異民族を大征服したそうである。
長い歴史の中で、しばしば大雌伏期と呼ばれ、長い間アッシリアが地味な小国になる時代もあったが、そのたびにまた卓越した王が現れて盛り返したり、滅亡の危機に瀕しても名君のもとで復興を繰り返してきたそうである。

それが、最後の王があまりにもヘタレだったため、ついに完全に滅亡してしまったということだろうか。

こればかりは、人知を超えて神のはからいなのかもしれない。

ただ、たぶん、シン・シャル・イシュクンは暗愚だったのかもしれないが、それだけではない、そして上記の原因だけではない、他の要因もあったのかもしれない。
ただ、その原因がいまいちよくわからない。

あるいは、ローマの衰退の原因となった、格差社会や軍隊を担う中間層の崩壊などがあったのかもしれない。

アッシリア史は、やっぱり興味は尽きない。

メモ

知人が勧めていたので、昨日の民進党の党大会における慶応大の井出先生の御話の動画を視聴した。
たしかに胸打たれた。

日本の現状が「格差放置社会」であること。
相模原事件等に見られるように、今の社会は弱者が弱者を痛めつけ優しさを失っていること。
生きることが苦痛と感じる社会を子どもたちに残すべきではないこと。
期待できない経済成長に依存することなく将来の不安を払拭するための分ち合いの経済をつくり、自己責任の恐怖におびえる国から生まれてきて良かったと心底思える社会、人間の顔をした政治を取り戻すべきこと。
本当に真摯に真剣に真っ向から御話されていた。

冷笑やあきらめが蔓延する今の世の中だけれど、こうした理念に向かって、地道に一歩ずつあきらめずにがんばっていく中でしか、もう一度日本を創りなおすということもありえないのだと思う。

林えいだい 「地図にないアリラン峠」

地図にないアリラン峠

地図にないアリラン峠

これはすごい本だった。
戦時中の朝鮮人強制連行、および軍属としてタラワ島で玉砕した人びとや、敗戦前後、樺太憲兵等によって行われた朝鮮人殺害事件など、歴史の闇に埋もれていた多くの出来事を、丹念な聞き取りにより記録にとどめている。

複数の証言を必ず取って、場合によっては事実とは言えない証言についても指摘している著者の姿勢は極めてフェアなものである。
そのうえで、なお否定できない、あまりにもひどい出来事の数々には、暗澹たる思いを抱かざるを得ない。

はじめてこの本で知ったのだけれど、福岡の海ノ中道に昔、炭鉱があったそうである。
海底の地層の石炭を採掘するため、トンネルが掘られていたそうだ。
そこでは、青い徴用を命じる用紙が来た朝鮮人の労働者も大勢働いていて、しばしばひどい虐待を受けていたそうだ。
ちょっとそれらの出来事には、絶句せざるを得ない。

また、筑豊の炭鉱では、戦時中、落盤事故があって、腹から腸がはみ出たりする大けがをした朝鮮半島出身の労働者がいた場合、どうせ治療しても治らないということで、その場で生きながら土に埋められる場合があったそうである。
なんともひどい話である。
戦前を礼賛する人って、そういうこと知ってるんだろうかとあらためて思わざるを得ない。

他にも、ともかく、あまりにもひどい多くの歴史が記されている。
重い一冊だけれど、多くの人に読み継がれて欲しい一冊だと思う。