今日、下関まで電車に揺られている間、ふと窓枠の金具の部分に何か書いてあるのに気付いた。
よく見ると、こんな落書きが書いてあった。
「H.4. 6.30(火) PM 1:57〜2:56
みずきときよしが座った席」
「H.4」というのは、おそらく平成四年だろうか。
とすると、もう二十四年も前の落書きということになる。
おそらく、十代ぐらいの若者が、コインかドライバーか何かで、窓枠の金具に掘り込んだんだろう。
たぶん、カップルで、女の子の方が書きこんだのかもしれない。
もちろん、落書きはいけないことだろうけれど、なんだかほほえましい気持ちになった。
にしても、当時十代半ばかそれぐらいとして、いまはもう四十代前半ぐらいになっているのだろうか。
おそらく私よりも年上の人たちなのだろう。
そのみずきちゃんときよし君は、その後どうなったのだろう。
おそらく、ごく稀な例としては、その後も仲良く結婚する場合もないわけではないだろうが、たいていの場合はとっくに別れて、それぞれ別の人生を歩んでいるのだろう。
しかし、その時は、この上なく楽しく幸せだったので、その瞬間を永遠にとどめたいと思って、落書きにその日付や時間帯を書きこんだのだと思う。
本人たちもとっくの昔に忘れたことなのかもしれないが、その時の幸せな記憶の、かすかなたよりが、こうやって二十数年後も残っているのは、不思議なものである。
考えてみると、私も昔は、その正確な日付や時間帯すらとっくに忘れてしまったけれど、何人かの人と、そうやって楽しいひとときを、しばらく一緒に列車で過ごしたこともあったろうか。
しかし、その日付や時間帯や、こまかな思いですら、遠く忘れかけてしまった。
人生とは一体何なのだろう。
すべて過ぎ去って、束の間一緒になっていた人とも、また別れて歩み出すものではあるけれど、楽しかったひとときというのは、何かかすかな響きのようなものは、ずっと残っていくものなのかもしれない。