雑感雑詩

雑感雑詩



自分は一体何をしてきたのだろうか。
自分は一体何をしていくのだろうか。
ただ確かなのは
今ここ。
その瞬間瞬間は
絶対である。


いつの間にか
人生をあきらめている自分がいる
いつの間にか
歌を忘れた自分がいる
ぐるっと一回転させてみると
まだあきらめていない自分
歌をうたうのが好きな自分
どうせならこっちのモードで生きよう


私はこの世界を愛しているのか
はたまたあきらめているのか
あるいはこの世界を憎んでいるのか
正直よくわからない
たぶんおおむね愛しているのだろう


どうにもならぬ濁流に
あらがいながら生きてきた
この時代に生きて
数ならぬ身で何ができるのだろう
ほんの数人の心ある人と
何かしらの意気をあげることができたなら
それだけでよしとしようか


不器用な自分は
不器用に生きてきた
器用に生きればラクだったろうけれど
別に器用に生きたいとは思わない
不器用だからこそ
出会った道もある
器用に生きていれば
見えなかった景色もある


自分はどこでしくじったのやら
そう思って苦しんだ日
では何が成功なのか
世間的な成功が幸せなのか
よく考えれば人生の失敗も成功も
実はたいして違いはないのかもしれない
要は自分自身であること
それ以上でもそれ以下でもない
なんであれここからである


多くの本を読んできた
それが何になったろう
そのときどき心をよろこばし
楽しませてくれたのなら
それで十分だろう


神がいるのかいないのか
それよりも
神を愛し神に愛される
そこに人生がある


生れて生きて老いて死ぬ
そのことに感謝し感謝されるならば
最高である


愛とはなんなのか
愛する時は幸せで
愛さない時は幸せではない
愛にそむいた時は幸せではなく
愛にこたえる時は幸せである


キリストが
いてくれたおかげで
二千年経った私も
光に照らされている
闇の道の中の私も
不思議なことである


復活がなかったら
ペテロが勇敢になった道理がない
パウロが変わった道理がない
世に福音が広まった道理がない
私が救われる道理がない
扇の要


アダムのように
そむいていることに気づきもしないで


この世に生きている意味があるのか
随分考えてみたが
やはりわからなかった
なので生きている意味があるように生きようと思った
死ぬときに振り返ったときに
多く愛した思い出があれば
それが生きてきた意味となるだろう


大きな愛で小さなことを
やっていくしかない
それさえできれば
人生は最高ではないか
小さな愛で大きなことをやるよりも


私はこの国を愛しているのだろうか
愛しているような気もするが
本当にそうなのかと尋ねられれば
どうもそうでもない気がする
私が愛しているのはこの世界であり
この世界の一部としてのこの国であり
もしもこの世界をこの国が否定するならば
やはりこの国を愛することはできない気がする
この国の人もこの世界の人も
神にとっては同じくただの人であり
したがって私にとってもただの人である
人である以上愛したい
しかしどちらも等しくにである


人間というのは結局なんなのだろう
天使と禽獣の間
神の似姿にして蛇にだまされる
罪をごまかし人を殺すかと思えば
自ら進んで十字架を担い十字架に死ぬ
なんという自由だろう
なんという不思議さだろう


人生が幸せだったなら
どれほど良かったろう
そう思う時
自分は平坦な人生を好んでいる
しかし平坦な人生は神に出会うことはあるのだろうか
神は坂道や迷い道の時にこそ出会えるのではないか


人生の目的は
神と出会うこと
そして神とともに生きること
神を愛し人を愛すること
人生に感謝し感謝されること
人生の目的は
平坦な人生では必ずしも達成できない


貧しさに泣き
孤独に泣き
自分や愛する人の病に泣いた人のみ
人をいたわり
神に出会うことができるのだろうか


神とはなんだろうか
この宇宙の根底に
愛があることを示す
神のひとり子


若い時
いのちの根を求めて
いのちの水に渇いて
随分と歩き回った
結局何をしてもそれは得られなかった
渇きは癒されなかった
キリストに遇うまでは


キリストのみ
命の根
命の水
命の木


この国は
キリストもほとんど知らず
偽りを好み
にがよもぎを噛んでも目が覚めず
この眠り伏した鈍い国
泥沼
濁流
しかし本当は
どこよりも美しく善良な
たかく尊き日本


たいていの人が
自分より幸せに思える
そんなひがんだ心
自分の幸せに気づけばいいのに
そして自分の幸せに感謝すればいいのに


神は人が幸せであることを望む
だというのに
人は幸せであることがどうして難しいのだろうか


幸せでありたいと思って生きているが
求めるべきは幸せではなく善なのだろう
善を求めよとアモスは言うが
幸せを求めろとは言わない
しかし幸せでなければ長い寿命も何の意味もないとコヘレトは言う
してみれば善を求めて幸せになるのが良いのだろう
人は善を求めず幸せを求めて苦しむ
幸せを求めず善に打ち込む時にいつの間にか幸せになる
善とは神を愛し人を愛することである


どうしたら生きていけるだろうか
とりあえず
しっかり食べて
しっかり人を愛し
しっかり日々のつとめを果たせば
たぶん生きていけるのではないか
いや、なによりもまず
しっかり祈ること
それができれば
これからも生きていけるだろう
神が共にいませば
こわいものはない


金があるにこしたことはないが
生きてさえいれば


貧乏は嫌だが
心の貧乏はもっと嫌ではないか


生きてきた
生きた
その軌跡
その奇跡


あたりまえのことを
あたりまえに書く
意外としないことである


いつからか
キリストを信じるようになった
いつの間にやら
いつのことだか
水がぶどう酒になるように


いつか死ぬ時のために
愛に生きよう
結局人があの世に持って行けるのは
この世でどれだけ愛したか
どれだけ与えたか
それだけなのだから
物惜しみせず
与えて愛して
生きていくのが一番


言い残したこと
言い尽くせないこと
さまざまに抱えて
人の背中はさびしいものである