「プロメテウスの罠」 1巻

プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実

プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実

朝日新聞による福島原発事故の取材記事をまとめた本である。
ところどころは読んだことがあったのだけれど、しっかり読み直そうと思い、今回まず一巻を読んだら、あらためてとても勉強になった。
そういえばそうだった、と当時の報道を思い出すことや、ここまでひどかったのかとあらためてため息をつかされることが多い。


冒頭、はっきりした情報が何もない中で、避難が遅れ、判断に苦慮した住民の方々の体験談が多数とりあげられている。
それらを読むと、なんとひどい出来事だったのかとあらためて思わざるを得ない。
東電の無責任さは一体何だったのだろう。


また、長年続いてきた気象研の放射能観測の予算が、三一一の直後の年度末に打ち切られ、研究者が自腹でしばらく観測を続け、半年後やっと予算が復活したという話も驚かざるを得なかった。
また、福島原発の事故による海洋汚染に関する論文を発表しようとすると、上司からストップがかかったという話も唖然とする。


木村真三さんという放射線衛生学の専門家は、三一一の時に、厚労省の関連の研究所に勤めており、現地の調査に行こうとすると、勝手な行動を慎むように上司から圧力がかかったので、辞職して現場の調査に向かったという話も胸打たれた。


肥田舜太郎さんを中心とた、内部被曝に関する啓蒙や調査や、子どもを心配する親たちの声とは裏腹の、行政の杓子定規な内部被曝無視の姿勢や調査への消極性も読んでいて疑問を持たざるを得なかった。


そして、極めつけに唖然とし、疑問を持たざるを得なかったのは、三一一後の保安院と東電の動きである。


三一一の時、現地対策本部が津波地震によって機能麻痺する中、保安院の緊急時対応センター(ERC)はSpeediの計算を繰り返していた。
にもかかわらず、ERCはその情報を菅首相には伝えなかった。
そのことがこの『プロメテウスの罠』一巻の65〜72頁にはわかりやすく書かれている。
しかも、この記事の時点で、朝日新聞の取材に対し、菅さんはきちんと応じたが、菅さんの目の前にいたのに全くSpeediの情報を伝えなかった保安院長の寺坂信昭氏は取材拒否をしていることも同箇所に明記されている。


保安院は当初の寺坂氏は首相の側から姿を消してしまい、平岡英治氏、その次は安井正也と官邸に詰める人物がくるくる変わり、しかもSpeediを含めて必要な情報をほとんど首相や首相周辺に伝えなかった。
SPEEDI情報を官邸中枢に伝えるべき官僚が、それをしていなかったのだ。」(189頁)というとんでもない事態が生じていた。


東芝社長の佐々木則夫氏が、「総理に助言すべき組織が機能せず、当事者意識が欠如していた。組織の都合が優先され、必要な知識を持った人間が役職にいなかった。」(257頁)と述べているが、全くその通りだろう。


こうした保安院の機能不全と所行の責任を問わず、情報が伝わらない中で必死に事故対応に取り組んだ菅首相を誹謗中傷し続けている人々が未だに時折いるようであるが、各種事故調の報告書とともに、この本をぜひ読んで欲しいものだと思う。


また、三月十一日から十二日にかけてのベントをめぐる混乱もこの本ではわかりやすく詳しく書かれていた。
今日、菅首相の現場視察とベントの遅れが無関係だったことは東電事故調報告書や報道でも明らかになっているにもかかわらず、未だに誤解か悪意によってこの点で菅さんを誹謗している人々がいるようであるが、ぜひこの本を読んで欲しい。


この本の230~243頁に明記されているが、現場の吉田所長はベントを始めることにし、首相官邸も十一日から十二日に日付が変わった深夜に合意していた。
午前三時にはベントが行われると連絡があったので、枝野官房長官はそのことを伝える記者会見をした。
しかし、現地ではベントが行われなかった。
菅首相は繰り返しベントを指示しながら、一向にらちが明かないので、午前六時十四分に首相官邸をヘリで出発し、七時十二分に福島第一原発に到着。
到着後、すぐにベントを東電に指示し続けた。
菅首相がまだ上空にいた午前六時五十分に、海江田大臣がベント実施をするようあらためて官邸から指示を出していた。
つまり、菅さんは自分自身が被曝する覚悟で現場視察をしていたわけであり、免震重要塔で東電関係者と打ち合わせをその後にしているが、免震重要塔は放射線量が高いので長くいるのは避けた方が良いと言われる場所だったそうである。
まさに命がけで、しかもこの時の現場視察はベントの遅れとは無関係だったことが今日明確になっており、しかも吉田所長と直接会って話してはじめて明確に現場の様子がわかるようになり、その後の震災対応に役に立ったと菅首相は述べている。
にもかかわらず、未だにこの現場視察のことで菅氏を誹謗する人や、ましてやこの本で明記されているようにSpeediの情報を菅首相および官邸中枢は知らなかったにもかかわらず、自分が現場視察に行く時だけSpeediの情報を使い他は隠蔽したと誹謗する一部の小沢派の人々は、どうかこの本をしっかり読んで欲しいと思えてならない。


この本を読めば、大震災勃発直後から首相は非常に迅速に対応しており、全電源喪失の事態に対し、電源車の手配やベントや海水注入を官邸は何度も指示を出していたことがわかる。
一方、東電社長の清水正孝氏は、三一一の大震災が起こった時に、奈良の平城宮跡を夫人と見学中で、東京の本社に戻ってきたのは翌十二日の午前十時。
東電会長の勝俣恒久氏は、三一一の大震災が起こった時に、北京に行っており、東京の本社に戻ってきたのは三月十二日の夕方四時頃ということがこの本に書かれている。
それらを読むと、東電の無責任さや当事者意識の欠如に暗澹としてくる。
また、保安院の当事者意識の欠如と無責任さも上記のとおり。
これらと闘いながら、苦慮しながら必死に震災対応に努力した菅首相や官邸が、どういうわけか誤報や誹謗によって当時も、そして今なおバッシングを受け、東電や保安院の責任転嫁の隠れ蓑とされているのは、あらためてなんとも理不尽なことだとこの本を読んで思わざるを得なかった。


また、今もって真相が解明されていない、東電の清水社長が繰り返し、現場からの撤退を首相サイドに求め、断固として菅首相が拒否し一喝し、東電に自ら乗り込んで、撤退はありえないということを訓示した件もわかりやすくこの本に載っていた。
当時、イラ菅だのさまざまな批判がメディアで飛び交ったが、私はこの本207~208頁に明記されている菅首相の訓示は、至って当然の立派なものであり、これぐらい強く言ってくれる人が当時の首相にいなければ、本当に日本はもっと最悪な事態になっていたとあらためて慄然とせざるを得なかった。


この本に描かれるような、原発ムラの無責任や当事者意識の欠如の体質が、これほどの出来事にもかかわらず、今なお続いているとしたら。
非常に恐ろしいことである。


三一一の悲劇を繰り返さないために、またあの時に本当に起こっていた出来事は何だったのか、誰が本当に真剣に責任感を持ってがんばり、人間の声をあげていたのか。
誰が人間の心や声を喪失した機械のように、無責任で無機質な当事者意識の欠如した行動をしていたのか。
そのことを見極めるためにも、ぜひ多くの人に手にとって欲しい本である。
もしそれを見誤り、氾濫するデマにだまされたり、責任転嫁に載せられてしまったら、応援すべき人々をかえって誹謗し叩きのめし、ますます世の中を絶望的に悪くするという、とんでもない悪循環と大失態を、未熟な正義感の人々ほど行ってしまう。
その危険を避けるためにも、無知こそ罪なのだと心得、この本や他のすぐれたこの当時の記録を読み続けることは、今後ますます三一一後の我々にとって必要なことだと思う。