与謝野馨 「全身がん政治家」

全身がん政治家

全身がん政治家


与謝野馨さんは、長年自民党の重鎮として、党内屈指の政策通としていくつもの内閣で閣僚を歴任してきたことで知られている。
民主党の菅政権の時に「火中の栗を拾う」と言って、菅さんの要請を受けて経済財政担当大臣として就任し、税と社会保障の一体改革を率い、かつ三一一後も的確適切な経済情勢の見通しや政策を述べて重きをなした。
多くの民主党内の政治家が菅降ろしに走ったり、あるいは菅さんを裏切ったり距離を置く中で、そうした動きに決して与せず、最後まで菅政権を支えた姿も印象だった。


そんな政治家として誰と比べても遜色ない経歴と活躍をしてきた与謝野さんが、これほど重い病気とともに生きてきたとは、正直この本を読むまでよく知らなかった。
具合が悪いらしい、ということは何度か報道で聞いたことがあったが、この本を読んで、想像をはるかに上回る大変な闘病生活に驚いた。


与謝野さんは、三十九才の時に悪性リンパ腫で余命二年と言われ、三十年間、がんと闘いながら政治家としての仕事も果たしてきた。
長い間、家族にも秘書にも、もちろん他の人にも、自分ががんだとは言わなかったそうである。


三十年の間、四回、それぞれ違う部位に癌が発症し、三回再発しているので、計七回、癌になったことになるそうである。


はじめは、余命二年のうちに、何か意義あることや悔いのない生き方やすべきことをしようと、必死に思ってそれらを探してやろうとしたそうだが、やがて、日々を普通に生きることが充実した人生なのだと思うようになり、日々を当たり前に普通に生きて、これといって力むことなく生きるようになったそうである。


また、常に、客観的なもう一人の自分がいて、冷静に自分を眺めているような視点ができたということと、永遠のいのちがあり、自分の今の姿は仮の姿だという意識が生じるようになった、という話は、とても心に残った。
まさに達観と言うべき境地だと思う。


この本は、主に癌との付き合い方や闘病生活の思い出が書かれているが、その合間に、政治についての回想も書かれている。
読んでいて、なるほどと思ったのは、福田内閣の時のC型肝炎の救済は、非常に見事なものだったと今までも思ってきたし、福田さんは立派なことをしたと思ってきたが、実際に法案を作成し、患者の方たちと折衝して和解案をまとめあげたのは与謝野さんだったそうである。
長年、自分も病気を患ってきたのでそれらの方たちの気持ちがよくわかり、なんとしても和解案をまとめあげねばならないと強く思っていたそうである。


財政構造改革法の作成に携わり、橋本政権で法律ができあがりつつも、橋本首相が景気の悪化を恐れて事実上できると同時に財政構造改革法を適用しない事態になってしまったことへの無念も、読んでいて印象的だった。


また、竹中平蔵さんと常に衝突し、竹中さんの後の経済財政担当大臣となり、安心社会の構築を目指した「中期プログラム」を作成し、それが後に菅・野田政権の税と社会保障の一体改革につながったことへの回想も興味深かった。
このあたりのことは、一般国民にはややわかりにくいことだが、要するに、小泉・竹中路線の修正が、安倍・福田・麻生政権のもとで与謝野さん主導のもとで試みられており、その構想が、菅・野田政権で実を結んだ、ということだろう。
政権交代を挟んで、与謝野さんのもとで一貫した政策の軸があったことは興味深い。


与謝野さんは、鳩山首相をかなりどぎつく批判しており、厳しく鳩山政権を批判した本も出版していたが、菅さんがその本をきちんと読んだ上で、与謝野さんに協力を頼んできたという話も興味深かった。
政敵の厳しい批判にもきちんと耳を傾け、それが正しい政策であればきちんと取り込み、生かそうとした菅さんの度量も立派だったと思うし、全てをかなぐり捨てて火中の栗を拾い、政局よりも政策を重視して菅政権での閣僚を受諾した与謝野さんも本当に立派だったと思う。


この本の最後の方で、与謝野さんがアリストテレスの言葉を引用しながら、民主政の末期には英雄待望論が出てくるが、これは極めて危険なことで、昨今の日本の第三極ブームはこれに当たる、という指摘は、非常に考えさせられる、重いものがあった。


昨今のポピュリズムや人気取りの政治家らとは、およそ真逆を行く珍しい政治家が与謝野さんだったと思う。
今後、アリストテレスが言う民主制末期の堕落逸脱に日本が陥らずに済むようにするためには、こうした珍しい政治家たちの残した言葉に耳を澄ますことが大切かもしれない。


与謝野さんは、母や妻もがんになったことを記している。
さぞかし大変だったと思う。
他の方が、がんに対して「心の免疫」を付けることを願ってこの本を書いた、と末尾に書かれていた。
多くの人に読まれるべき本と思う。