テクムセのこと

19世紀初頭、インディアンのリーダーのテクムセは、米英戦争でイギリスと組んで、合衆国を倒す寸前までいった。
おそらく、インディアンで合衆国を倒せたかもしれなかったのは、テクムセだけだったろう。
非常に勇敢で、演説がとてつもなく上手だったそうである。


テクムセは戦場で非業の死を遂げたのだけれど、そのあと、「テクムセの呪い」という現象がつい最近までずっと合衆国大統領を悩ませてきたらしい。


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1840年 - ウィリアム・H・ハリソン、1841年4月4日に肺炎で死去。
1860年 - エイブラハム・リンカーン、1865年4月14日に暗殺された。
1880年 - ジェームズ・ガーフィールド1881年7月2日に暗殺された。
1900年 - ウィリアム・マッキンリー、1901年9月14日に暗殺された。
1920年 - ウオレン・G・ハーディング、1923年8月2日に心臓発作で死去。
1940年 - フランクリン・ルーズベルト、1945年4月12日に脳溢血で死去。
1960年 - ジョン・F・ケネディ 、1963年11月22日に暗殺された。
1980年 - ロナルド・レーガン、1981年3月30日に暗殺未遂、任期満了、退任15年後の2004年死去。
2000年 - ジョージ・W・ブッシュ、いくつか事故(後述)があったが任期満了、存命中。
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(以上、wikiからの引用)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%A0%E3%82%BB%E3%81%AE%E5%91%AA%E3%81%84 



20年おきにその年に選出された大統領が必ず死ぬというものだが、たしかにやたらと二十年おきに暗殺や急病死が多い。


こうもずっとその事例が連続していたのを見ると、偶然かもしれないが、本当かもしれないという迫力がある。
レーガンが死なずに済んだのは、おそらくネイティブ・アメリカンに対する政策がそれ以前にだいぶ改まり、テクムセの怒りが解けたからではないかという気もする。


それにしても、レーガンは暗殺未遂があったが、ブッシュは平気だった。
なぜブッシュが平気だったかといえば、インディアンへの政策がそれまでに改善されて完全にテクムセの呪いが解けたとみるべきか、あるいはブッシュそのものが呪いだったとみるべきか。
後者ではなく、前者であって欲しいものである。


テクムセは、それまでばらばらだったインディアンの諸部族を、何千キロも歩いて説いて回り部族連合をつくりだし、銃火器もそろえて白人と闘える態勢を整え、米英戦争でイギリスとの共闘を実現するという、まさに天才的な革命家だったけれども、そうした政治面だけのエピソードではないエピソードが伝わっているところが魅力的だと思う。


テクムセは、わりと長い期間、合衆国との休戦和平が実現している時に、ある白人の一家と仲良くなり、その家の蔵書の西洋の古典文学を毎日やってきて読み漁ったそうである。
そして、その一家の娘と恋に落ちたそうだ。


テクムセは結婚を申し込むが、その娘さんは、テクムセが合衆国に帰化するならば結婚に応じると言ったらしい。


テクムセは、部族を捨てることはできないと、断腸の思いで結婚を断念し、また協定を違反し続ける合衆国との闘いに赴いていったそうである。


「すべての人に敬う心を示しなさい。
だからといって、ひれ伏してはいけない。」


「必要な時はいつでも自由を守る準備ができている部族、不当な扱いを受ければ抵抗の意志をはっきり示す部族は、平和を享受していつまでも存続することだろう。」


これらのテクムセの言葉を読むと、本当の独立自尊の人だったのだと思われる。


アメリカの歴史には、数多くの英雄がいるが、テクムセはその中でも最も英雄に名に値する人物だと思う。